就職氷河期は救済されないまま年月を浪費させられた
私は、このブログで、就職氷河期の者達を結婚させ、そして、家庭を持たせる事こそが、社会を安定させる唯一の道である事をこれまで主張してきました。
しかし、現実はどうでしょうか。就職氷河期自体がまるで、存在しなかったかのような社会的な振る舞いが起こっています。
いまは、それで良いのかも知れません。いずれは社会全体が、そのツケを払う事になるのです。
社会や究極の形でツケが返ってくる
対象者が高齢化した事によって、生活保護が増え、あいりん地区の日雇い労働者達が減っているという話はよく聞きます。しかし、現実的には簡易宿泊所などのカーテンで区切られただけのような劣悪な宿泊施設に押し込むことによってそれを世話するNPOなどに対して行政から支払われる生活費を搾取する巣窟であるとも聞きます。
結局、行政というものは「やったフリ」をする事が大好きです、そのようなNPOと結託して弱者救済と主張したいのでしょう。
生活保護の行政窓口者達は何らかの袖の下でも受け取っているのではないか? と疑ってしまいます。
これから社会と就職氷河期の失うもののない者達とのあいだで社会的なチキンレースが始まるのは確実でしょう。
就職氷河期たちは物言わずに人生を終わらせるか
無敵の人と呼ばれる状態になった就職氷河期達が果たしておとなしく自分の人生を終えるのか?そんな事を私は全く思いません
自分の人生の最後に社会に対して実力を持って物申す、もしくは、最後に華々しい最後の方遂げようとする、そのような者達が少なからぬ数出現してくるのではないかと思います。
自己責任、自己責任とはまるで壊れたレコードのように繰り返していれば済まされた、社会的な状況は、もうそろそろ終わりを告げるのかも知れません。
もっとも、この国のメディアの事です、それらの自爆的な事件を扱わなくなるという可能性は十二分にあります。
なぜならば、メディアも、それらの無敵の人を産んだ加害者側ですし、持てる側としての「マスコミ」が、これ以上自分達の安泰を脅かされるような報道はしないでしょう。
そんな暗たんたる未来はすぐそこに、来ているのかも知れません。
この国は失われた20年、失われた30年と言われ、まともな成長がないまま、長い時間を無駄にしてきましたが、今後の10年20年は成長するどころか就職氷河期たちが意図的に社会の足を引っ張る存在になるのかもしれません。
ただ、彼ら彼女らが社会的に足を引っ張ったところで、それを行うに足りる十分な理由と十分な同情の余地は存在する事は確かです。
もはや謝罪のしようのない状況に陥った就職氷河期の女性たち
就職氷河期世代への支援の失敗の結果として、就職氷河期世代の女性たちは、もはや多くの場合、子供を産むことができないという残酷な現実が突きつけられる時代となってしまいました。
それは本来、この国が少子高齢化に歯止めをかけ、次世代の人材の育成をしなければならなかったはずの時期に、派遣労働の無軌道な解禁をすることによって、持てる者達の利益を最大限に確保してきた、その恐るべきツケがついに目前に迫ってきたと言えるでしょう。
これは就職氷河期等の女性に対して、もはや謝罪のしようのない状況に陥らせてしまったとことになります。
謝罪のしようのない状況に対して、一体今後どのように社会は向き合うのでしょうか?
果たしてそれが、今までのようなNHKや民放をはじめとする大本営発表の都合のいい情報の垂れ流しで、彼女ら、彼らが納得し、このまま最後を迎えてくれるとでも思っているのでしょうか?
私はそれは白昼夢に過ぎないと考えています。
今後日本を待つのは、就職氷河期たちが自暴自棄になり、恐るべき行動を行うことよる地獄絵図が待ち受けているのではないか、と思わずを得ません。
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