
労働貴族が書いた国鉄民営化の本
一言で言ってしまえば、国労の労働貴族から見た衰退する労働運動を書いた一冊です。
この本を読んでも、著者に全く共感をすることができませんでした。なぜならば、著者は労働貴族としての自らの振る舞いになんら問題を提起するものではない、むしろ開き直ってすらいる、と思ってしまうからです。
しかし、この本は、逆説的に日本でなぜ労働運動が現在のここまで凋落、没落してしまったのかということを気づくための大きなキッカケとなる1冊ではないでしょうか。
すり替えられた国鉄内の労働運動
本来の労働運動とは、共産主義などのイデオロギーとは全く別の、労働者による労働環境の改善の要求、それが本来の一番大きなテーマです。しかし、そこにイデオロギーもち込んでしまったおかげで、本来の労働運動とは全く異なる、政治的思惑となってしまった、それが国鉄の最終末期における状態ではないでしょうか。
本書では著者の所属する「国労」(労組の派閥)での、いわゆるスト権ストについて、実にあっさりとその事実を書いているのですが、本来、スト権ストこそが国鉄労働運動の間違いの始まりだったと私は考えます。
そもそも、ストライキ権を得るためにストライキをする、それ何か矛盾してませんか?ダダイズムですか?とすら思ってしまいます。
結局、国鉄の労働組合の中でイデオロギーが強固であるがゆえに、それはすなわち共産主義の思想が蔓延ることによって、組織の統一が図れない、という事実があります。
そして、さらに皮肉なことに、その中でイデオロギー的に最も左である動労が為政者側に寝返った、という事実です。
それによって、一番過激な思想がJRに引き継がれてしまうという、一体国鉄改革とは何だったのかという話になります。
それらの、JR民営化の為政者側の思惑を労組側から見た考察が非常によく書かれている一冊であることは私は認めます。
国労の対応の過ちを見る一冊
ただし、今となって見てみれば、もう予めは負けることが分かっていた組合潰し、もしくは社会党潰しとしての国鉄民営化なのですが。
その後、労働者派遣法であるとか、もしくは非正規雇用の増加であるとか、そもそも組合というもの自体が成り立たない時代になってしまうのです。
それらの大きな社会の節目として、そこで一体、何が起こっていたのか、それは負け犬側からの視点として、 そもそも著者の行動は間違っていた、もしくは、敗北の過程の歴史としてのJR民営化という読み方をするのが適切な一冊ではないでしょうか。
労働者の権利を守る、と言っていた労働組合が、結局は政府の監視下、もしくは政府の許可範囲内において、コップの中の戦争をしていた、という事実。
そして、労組内闘争のコップの中の戦争が終わる時、組織の大部分がズタズタになった事実。
そして、それがいったいどのように終わってしまったのか。
それらを非常によく観察している一冊です。
なぜ今の社会において、労働運動がここまで衰退してしまったのか、なぜブラック企業がここまで蔓延るようになってしまったのか、なぜ若者がまともな労働環境に就職することができないのか、それらのきっかけとなった歴史的に大きな転換点を内側から描いた一冊であると私は考えます。
手放しにはまったく褒められませんし、反面教師としての問題提起としては大きな一冊ではないでしょうか。
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