
地に落ちる大企業
例えば今パナソニックのある部門が海外の投資会社に売却されましたし、三菱造船の豪華客船の建造の失敗、東芝の数千億円の赤字などが取り上げられていますが、これはそれらの単一の企業の問題ではなく、日本社会の構造的な問題若しくは日本株式会社先見性のなさの問題ではないでしょうか。
どのような企業においても、単一の事業だけをしていると、いずれその事業分野自体が構造変化し、そして収益性を失ってしまう。
そのため常に新しい分野の開拓史そして新しい収益源を追い求めなければならない。それは中小企業から大企業まで全て言えることです。
日本の戦後産業の末端として
戦後の花形産業として、戦後直後は石炭などのエネルギー産業、そしてその後は重厚長大の造船、そしてその後で PANASONICや SONY の手に見られるように小型白物家電なのですが、その後に続く産業が出てきていないのが今の日本ではないでしょうか。
今、日本の産業として、推進しているといえば、それは介護分野ぐらいなものではないでしょうか。
しかしそれは建設的産業ではなく、為政者の無為無策のの少子高齢化に対応するため、やむを得ずせざるを得ないという意味です。
それはこれまでの花形産業とは全く意味の異なるものです。
つまり、日本株式会社という利益の出る産業に満足し、そしてそこで天下り先を確保し、そこから新しい発展を探すことを放棄してしまった、それが故に今の日本の産業のどんづまり状態があるのではないでしょうか。
本来あるべき現在の日本産業とは
では、それらの花形産業に続く新産業は一体何だったのか考えた場合、私はそれはエネルギー産業だったのではないかと考えます。
極東の島国において、自ら自給しうるエネルギー、例えば風力発電、太陽光発電などのエネルギー分野は国家的プロジェクトとして開発研究を進め、それを世界に通ずるジャパンブランドとして構築するべきだったのではないでしょうか。
しかし、現実的はもんじゅなどに見られるように原子力エネルギーに注力し、そして3.11の世界最悪レベル事故を招くという体たらくであります。
なぜ企業は停滞するのか
日本の場合、往々にして、産業規模が一定の大きさに達すると、そこ対して役人たちの天下り先の確保、安定しようと群がる新卒学生、事なかれ社員で占められることにより、発展が止まってしまいます。
もともと日本は保守的な風土なのですから、国家が新しい産業を作ろうと方向性を打ち出さねばならなかったのではないでしょうか?今となっては全て後の祭りですが。
新しい産業を作ろうにも、労働力人口として若い世代が少ないのですし、新卒の学生は就活だの何だと新興宗教じみた行動する有様です。
没落する日本産業と自分の生活
日本産業という大きなカテゴリーでこのブログを書きましたが、それは他山の石として見れば、自分の生活でも同じものですよね。
何か一つの分野に安住し、それを守る行動保守的行動すると、いずれジリ貧になってしまう。
そうならないために常に新しい分野を開拓する、そして自分の生涯において少しずつでも発展を遂げていく。
それが今の日本と同化しないための生き方のヒントになるのでしょうか。
日本という株式会社を考えた場合それは反面教師として最適な存在なのかもしれません。
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