高速増殖炉もんじゅに見る「ものづくり国家」の化けの皮、もしくは希望として

By | 2017年12月27日
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高速増殖炉もんじゅにおける体たらく

高速増殖炉もんじゅの廃炉が決まったのはいいですが、その廃炉の方法が全くわからない、という体たらくを今世界中に晒している日本ですが、これは、もう日本のモノづくり神話の化けの皮が剥がれたと言っても良いのではないでしょうか。

日本はこれまで重厚長大から軽薄短小における製造業が栄えてきた国ですが、その製造業のお株も全て中国に奪われ、そして、3.11における福島第一原子力発電所の爆発、それに伴う廃炉作業などで、「廃炉作業がうまく進行している」と、国民に伝える事によって、まるで製造業が復活しているかのようなイメージ操作を行ってきました。

しかし、ここに来て、「もんじゅ」の廃炉作業の手順すら立ている事ができない、もちろん、それは、廃炉作業がいつになればその終わり来るのかさえも、全く見えない状況になっています。

無論、3.11における福島第一原子力発電所の廃炉作業の終わりすら見えていない状態であることは書くまでもありませんが。

しかも、そのような状況の中で、未だに政治家や役人達は原子力発電を推進しようとしている。もはや、これは無責任国家としての日本と言われてもやむを得ないでしょう。

3.11の福島原子力発電所の爆発事故において、誰一人として逮捕された者はいませんでしたし、彼らは「想定外の事態」と、壊れたレコードのように繰り返すばかりでした。

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日本のものづくりの終焉的事象としての、もんじゅ

日本のモノづくりとは、日本の集団主義を利用した軍隊式のルーチンワークに則ったモノづくりの改善、また、工場のライン生産における、何もモノ言わない従業員に「秘訣」があったのではないでしょうか。

それは学校における管理教育の結果としてのモノづくりの一時的な繁栄ではなかったのでしょうか。

高速増殖炉もんじゅの廃炉作業ができない、それは製造する時に、

「原子力産業は失敗は許されない」
「失敗しないのだから廃炉作業は考えなくていい」

そんな、図式が成り立っていたのではないか、と容易に想像できます。

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「もんじゅ」の希望的活用方法

しかし、それでも私はこの「もんじゅ」に一つの希望を見出す事が可能ではないのかと思うのです。

これまで3.11の原子力発電所における事故などにおいて、誰もが責任を取らなかった体制を改めるべき事例としてです。

「もんじゅ」を設計をした者の責任を徹底的に解明し、なぜそこで廃炉について見込まれなかったのか、なぜそのような設計を行えていないのかの責任を徹底的に追求し、その責任者については威力業務妨害などのしかるべき刑罰を科すべきではないのかと私は思うのです。

無論、そこには彼ら、彼らの責任者の退職金の返納や年金のカットなどの国民の誰もが納得する方法を取るべきでしょう。

そのような、これまでの日本の製造業に対する最高責任としての原子力産業の「もんじゅ」の無責任体制の責任を問う事により、日本の自浄作用を世界的に示し得る事例ではないでしょうか。

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それは無理でしょうけれど

もっとも、この国は政財官、そして司法ともにお互いに「忖度」を行い、都合の悪い部分は誤魔化す。そして、ぼかす、かばい合う、が成り立っているのですから、今回の「もんじゅ」における廃炉作業の責任の所在の明確化など、現実的には困難な事でしょう。

しかし、このような世界が注目する事例であるが故に、日本の自浄作用の試される事である事は確かでしょう。もちろん私も何一つ期待はしていませんが、。

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