仕事の疲れと付き合う、自分を守るための簡単だけど重要な行動

By | 2016年9月10日

疲れると考えがネガティブになる

ネガティブな時に重大な決定をすると、本当にろくなことが起きません。それは疲れによる判断力そのものの低下が非常に大きな原因です。

一例を上げるとするならば、疲れている場合、それまでの人生において、本当にろくでもない記憶ばかりが、自分が望まないにも関わらず脳内に鮮明に蘇ったりします。

疲れによる脳の制御の低下による自分の嫌な思い出が突然フラッシュバックとでも言えるでしょうか。そんな状況下で、まともな判断ができるわけがありません。

たとえばブラック企業で自分の生命にまで影響を与えてしまうような、おぞましい労働環境ががありますが、それは企業が働くものに極限までの過労状態を強いることによって、正常な判断ができなくなるまで追い込んでいる事にほかなりません。

それは究極的に糾弾される行為以外の何物でもありません。

過労によって自分の生命を重大な危機に陥ってしまう事例から見ても、疲労の蓄積はなんら思考に良い影響を与えないことは明白ですし、そのような企業が、現実的には何ら罰せられていない事を考えると、自分の身は自分で守るしかありません。

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自分を休めるための選択を恐れない

疲れているときは安静、そして「自分」を回復させること。それは、できれば能動的な、ウェブを自分で選択して見るような行動ではない方向が良いと感じます。例えば映画を見る、本を読む、寝る、おいしいものを食べる、そういった人間性を回復させるための行動を取るべき時間です。そのためには少々の嘘はついて良いと思います。

まず、自分の健康があってこその仕事なのですから。

正常な判断を行うことができない程にまでに、疲労を蓄積させることは明白に企業の働く者への管理が失敗していることであり、その際には堂々と休暇を取る権利が本来は存在して当然なのですが、この国は「自称先進国」であるため、それができない、おぞましい現実があります。

何もしていない時間は、決して生産性の停止ではなく、より効率的な生産性を得るための準備期間に他なりません。

疲労を回復させるために、あえて「何もしない」という極めて生産的な時間の使い方である、との考え方が重要ではないでしょうか。

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判断を先延ばしする、という判断

疲れていて、ネガティブで、その状態の危険性が自分で理解できる状態であれば、何もしない、という判断は、すごくポジティブは判断となるのではないでしょうか。

もう一つ重要な事は、疲れているときは、あえて、わざと重大な決定をしない、つまり、「決定を行わない事を決定」を選択する重要性です。

それは人生を良い方向に向けます。疲労が蓄積している場合は、可能な限りの策をつかって、重要な決断は先延ばしするべきではないでしょうか。

疲れの蓄積による判断ミスを避けるための「判断の先延ばし」「決断をしない決断」とは、一見ネガティブに見えますが、中長期的な大局性をもって見れば、人生に非常にポジティブ判断ではないでしょうか。

先の裁量労働制の欺瞞的資料に見るように、自分の身は自分で守るしかありません。そのため、自分の疲れとの付き合い方は非常に重要な問題だと考えます。

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