
祭りが嫌いだ
タイトルそのままですが、私は祭りが大嫌いです。なぜ、祭り嫌いと問われれば、以下のように答えます。
- うるさい
- ガラが悪い
- 参加を強要する
- 祭りが好きであると当たり前のように思う
そもそも、祭りという考え方は、日本人の土着的信仰、言わばアニミズムや八百万の神々、それらの本日本の土着的信仰と密接に結びついたものです。
また、祭りを好んで行う者たちは、保守系の議員たちと絡んでいたりする事も多いような気がします。
土着的信仰の末端としての祭り、祭りが嫌なら逃げよう
私の出身地は、ある地方の、珍妙な踊りをする祭りが有名な地域なのですが、その祭りの数ヶ月前から、この地域の人々は、この珍妙なる踊りを練習し始めるのです。
私は、もうそれが嫌で嫌で嫌でたまりませんでした。何が悲しくて大の大人があんな珍妙な振る舞いをするのか、今だに甚だ理解に苦しみます。
事実、私はその祭りには全く参加したことがありません。幼い頃、両親と兄弟で一度だけ、珍妙なる、その祭りを見に行きましたが、私は全く興味が持てませんでした。
私の父母は、私の実家である地域とは別の地域から途中で引っ越してきたため、その地域での祭りには一切、積極的には参加しようとはしませんでした。
他の地域から引っ越してきたにもかかわらず、寄付と称する、わけのわからない金銭の徴収があるのですが。
今、その地方では若者が少なくなり、地方自治体そのものの消滅の危機にさらされている行政区があると聞きますが、そのような行政区に移住者を引き込みたいのであれば、まずは、土着的な祭りへの参加の強制、その強制の代償としての寄付の強制をまず真っ先にやめるべきです。
祭りの意義の深層
正直、祭りに対して、社会的にはあまりにもポジティブなイメージだけが先行しすぎていますが、祭りの裏側にあるものとは、反社会的勢力が経営する出店、そして、ここぞとばかりに自己顕示欲を爆発させる、チンピラヤクザまがいな者たち、そして、ナンパ目的の女性達。
祭りとは、日本における生活文化の乱れを一極集中させたかのようなイベントであると私は認識しています。
また、別の視点からは、祭り、という大義名分のもとに日本の土着的な文化が生きながらえている、と考える事も可能でしょう。
ご苦労な事に、珍妙な振る舞いをする祭りに、私の同級生、しかも、それはかなり都市部の一流企業とやらに勤めている者が、その祭りのため「だけ」に有給を取って故郷に帰るなどの行動をしているようです。また、そのような者が少なからず存在すると聞きます。
結局、このような同調圧力とは、日本社会の原点とも言える部分です。それが神事という錦の御旗のもとに参加を強制されているのです。
私の故郷は、幸いにも強制参加ではなく、その代償としての寄付の強制で済んだ分、まだマシな方かも知れませんが。
そういえば、オリンピックで警備が手薄になるためオリンピック期間中の祭りは自粛するように、当局からの通達があった地域がある、などの話をききます。
私は東京オリンピックは、開催そのものに反対です。しかし、そのような祭りが中止されるのであれば、まだオリンピックの方がマシだと思うレベルで祭りが嫌いです。
祭りの「楽しさ」とやらの源流
本当に祭りは、一体、何が楽しいのでしょうか。本当に私は心底、理解に苦しみます。あのような珍妙な振る舞いの踊りをしていて、何がどのように楽しいのか。
それは、もしかすれば際限のない全身運動によって、脳が酸欠状態になり、いわゆるところの「トランス状態」としての快感を得ているのかも知れません。
古い時代では、珍妙な舞の運動で酸欠状態になり、脳がトランス状態に近づく事によって、「神がかり」的な体験を行うための手法であったと考えることは可能でしょう。また、そこに、当時はめったに飲めない酒が加わるのですから、より「神の領域」に近づいた、と当時の人々は思ったことでしょう。
しかし、それは現代科学の発達した日本においては、懐古主義的、もしくは、非科学的な思想、アナクロニズムと言わざるをえません。
さらに悪い事に、このように、「祭りが嫌い」である事を私の故郷では公表そものができない状況にあります。
もはや、これは同調圧力の最悪な結果と言える状態なのではないでしょうか。何が「故郷の誇り」なのでしょう? 私から見れば「故郷の恥」です。
結局のところ、そのような土着的な祭りを始めとする、人生に何らプラスにならない土地から逃れるためには、その土地から逃げる事が一番なのでしょう。
また、それらは、もはや「土着的信仰」とも呼べるレベルの問題であるため、対抗する事自体が無駄でしょう。
「インバウンド」に祭りを活用しよう
クールジャパンだか、インバウンドだか何だか知りませんが、ぜひとも、外国人の方々は、観光で日本の「地域」の祭りに来てもらいたいものです。
それらの祭りの裏側にある、ドロドロとした現実を有志が、海外の言語でウェブ上に公表し、それを知った上で、海外の人々には「クールジャパン」として祭りを見てもらいたいものです。
まあ、酔っ払いとヤクザじみた若者とナンパ目的の女性ばかりが目につくだけ、でしょうけれど。
一見、クリーンに見え、その裏側にある、見づらい、ドロドロとした現実を知らしめる事こそ、日本の文化の本当の意味での「奥行き」を知らしめる事ではないでしょうか。
当然ながら、私は祭りが開催されている時には絶対に故郷にに帰りません。
ましてや、私のパートナーにも、そのような祭りを見せるつもりはありません。言うまでもなく、子供ができたとしても、あらゆる祭りに興味を持たせる事をも拒否するつもりです。
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