外国人に消費を頼る日本の末期感、内需の回復を放棄し言い換えを行う者達

By | 2018年1月9日

自画自賛と外需頼みと問題のすり替え

別に私は外国人の方に対して差別的な意識は全くありません。まず、お断りとして最初に書いておきます。

なぜこの社会は国内経済を成長させずに、外需に頼ろうとするのか、それをマスコミはプロパガンダとして外国人の消費拡大を積極的に推し進めていますが、それは国内産業の没落を促進している事に他なりません。

本来、外国人に頼るよりも、まず自国の経済を自国民が循環させる事ができる体制を回復させる事が先決であるにも関わらず、それができていないのは、現在のサービス残業などの問題を見るまでもなく、問題の先送りに他なりません。

サービス残業の厳罰化、そして、実行的な対応としての労働基準監督官の増員など、本来すべき事は山のようにあるはずです。しかし、それをやろうとすらしない。

それは、国内の問題を外国人の消費という、、一見、新しいかのような需要を作り出す事による問題のすり替えでしょう。

テレビなどの「日本はこんなにすごい」などの日本翼賛番組を見てもわかりますが、現在、日本が行なっている事とは、将来に対するソフトランディングへの備えではなく、自分達はこんなにすごいのだと、自画自賛と自惚れにまみれて衰退していく、最も行ってはならないパターンを行っているように見えてなりません。

労働力不足が叫ばれ、就職氷河期の人物、特にそれは女性などにおいては出産適齢期を越えようとしている、そのような社会的な重大な危機があるにも関わらず、今だに自画自賛をしている日本。

それはまさしく10年後、20年後見ると、愚かしい時代の代表として見えるのかも知れません。

無論、それは現在から見た就職氷河期の人々の就職の時期であった、2000年代前半を見ても、派遣業の製造業への解禁など、目先の利益優先の愚かしい政策が行われた時期であった事は、少し賢明な者なら誰でもわかる問題です。

問題のすり替えとしての外国人観光客

外国人の方が日本に来る事、少なくとも観光客としてくるのであれば、それは良いことだと考えています。

とはいえ、外国人の方が日本に来る理由の現実的側面として、それは決して日本が憧れの地としての観光地ではなく、単なる物価が安い、お得感に満ち満ちた買い物国家に成り下がっているのではないか、と思うのです。

また、外国人の呼び込みの思惑の向こうには、外国人労働者を合法化させるために、より外国人と日本人の接点を増やそうとする為政者の思惑も透けて見えるような気がします。

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リベラル側からの外国人労働者への疑問

私は外国人労働者については現時点では反対をしています。

それは決して人種差別やレイシズムに基づく考えではなく、現在の日本国内の日本人に対しての雇用環境ですらサービス残業が無視されている状態であること、そして、その罰則について、電通など痛ましい事件をみてもわかるように、なんら企業の存在に対し影響を与えない、ごく軽微な罰しか与えられない、などの劣悪な労働環境が存在するためです。

それらの劣悪な労働環境に外国人の労働者が従事すること、それはサービス残業などを強いられ、彼らが本国に帰った際に日本に対する問題提起を全世界に向けて発信する可能性を孕んだ行為と言わざるを得ないでしょう。

それは日本の一時しのぎ的な労働力不足の「解消」と引き換えに、全世界に日本の恥を知らしめ、外国人の労働者すら巻き込む事態となります。それは外国人の方に対しても甚だ失礼ですし、また、日本国内の労働環境にとっても、問題の根本の解決からは程遠い行動と言えるでしょう。

無論、現在ですら、外国人研修生の方が本国に帰った際には、日本の労働環境に対する「純然たる事実の問題提起」を彼の地の言語で広めているであろう事は想像に難くありません。

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