創業者を持ち上げる企業に対する強い疑問、無為無策の社会と信仰と企業

By | 2018年8月23日

創業者が偉いなどと全く思わない

私がどのような職歴を持ち、どのような分野で働いているかを本ブログでは一切明かす事はありませんが、いわゆる大企業と呼ばれる系列の企業にいた時期があるような気がします。

そこで朝礼のようなものがあり、創業者の言葉を唱和するなどの、非常に昭和的な行動を行っていた記憶があるような気がします。

それはまるで創業者に対する「信仰」であった、とすら感じます。

人の成功話とは、じゃんけん大会で買った勝者に、「なぜあなたは優勝したのですか?」と聞いているように思えてなりません。

「じゃんけん大会で優勝できる」要件とは、運が良かった事が最大の理由として挙げられます。

もちろん、その運をつかむためには多くのチャレンジし、結果を得て、更に改善を行う。いわゆる、「意識高い系」的に表現すればPDCAサイクルを回す事になるのでしょうけれど、基本的にはそれらの根底に流れているものは「運」です。

現在、そのような大企業の創業者への信仰とは、それは運が良かった者を信仰する行為、言い換えるならば、まるで宗教のように思えてなりません。

その企業のブランド名を出せば、誰でも知っているような企業であった、ような気もしますが、そのような企業において、創業者の称賛、すなわち甚だアナクロニズム的な行動が行われている事は、今の日本の企業の問題の象徴と言えるかも知れません。

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日本社会の発展と劣化

日本社会の繁栄とは、他国か開発した技術に日本の独自改良を加え、軍隊的な組織によって大量生産を行った事にほかなりません。

いわゆる敗戦後の日本における集団主義的な思想の、平和的国家における結実としての、一時の繁栄が日本の戦後の発展と言えるでしょう。

しかし、その一時的な繁栄のピークを過ぎた後、バブル崩壊後は何ら社会的な発展を得る事ができませんでした。

挙句の果てには労働者派遣法の製造業への解禁を行いました。

本来、製造業などに人材とは、その人材そのものが内需の担い手であったにもかかわらず、それらの人材を不安定な雇用条件を許可した製造業派遣の解禁を行った結果として、現在の少子高齢化につながります。

それらの、ただ単に企業が生き残る事だけを目的とした、場あたり的な、その場しのぎの政策を行ってきた結果は現代の少子高齢化の社会であり、また、それらの政策が社会劣化の根底にある事は言うまでもないでしょう。

現在、存在する日本企業とは、それはただ単に、経営者にとって都合のよい人材の働かせ方を行ってきた事による、延命策としての存在と言える場合が多いのではないでしょうか。

もし、製造分野において海外に生産拠点を移転する事もなく、派遣労働や期間限定従業員などを使う事もなく発展してきた企業が存在するのであれば、それは素晴らしい企業であると思います。

しかし、世の中の90%以上の企業は、企業にとって都合のよい法律、サービス残業などの行政の無為無策によって発展を助けられてきた存在であると言えるでしょう。

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創業者信仰の無意味さ

さて、企業の創業者に対する信仰の無意味さについて論を戻します。

日本の神道的な考え方として、「鰯の頭にも信心」との言葉がありますが、それらの企業の創業者を宗教的に祭り上げ、何々神社とでも作ってそこに祭っておけば良い、とすら考えてしまします。

いや、実際にそれを行っている企業も存在しますが。

また、「誰もが知る企業」の創業者などは現在でも「経営のお手本」など、ともてはやされているのも事実です。

ただ、経営の神様だの何だのと言うのであれば。

「当然、従業員のリストラや、期間従業員、派遣労働者は使っていませんよね?」

と問うてみたいのです。

従業員の生活を破壊しながら、何が「経営の神様」なのでしょうか。

まさか「偉大な創業者」の意思に背いて、同じ工場の敷地内で、同じように働きながら給料が何倍も違う、ボーナスもない、不安定極まりない労働がまかり通る、すなわち、派遣労働者と正社員の身分の格差などは、まさか、まさか存在しないでしょうね?

不平等極まりない労働を自社の敷地内で働く者に押し付ける、そんな事をする「偉大な創業者」などあってはなりません。

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そして、何も残らない日本へ

産業とは常に新旧の世代交代が行われるものです。

それは、かつて日本は欧米列強に追いつけ、追いこせと発展し、先の大戦が行われた結果、「民主主義国家」として歩み始め、重厚長大、家電の花ざかり、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれていた時期を経て、今では自称、先進国として過去の遺産で食っているようなものです。

しかし、それよりもさらに皮肉な事は、現在2018年において日本における基幹的産業といえるものが自動車以外に何一つない状態である事かも知れません。

この国にソフトや産業や製造業以外の産業を育成するなどとは、まだまだ100年早い事なのかも知れませんが。

今そのような中、創業者をまるで一時的な神様のように崇め奉る事で、精神的な安定を得ようとする効果はあるのかも知れません。

しかし、そんなアナクロニズムに期待するのであれば、「今行うべきこと」、すなわち、少子高齢化対策、就職氷河期の人材の救済を行うほうが、よほど実効性のある施策に思えてなりませんが。

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