ゴミの分別に見る相互監視の自然発生プロセスの一例、「善良な」市民の勘違い

By | 2017年9月7日
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ゴミの分別はもともと不要である

そもそも論で言ってしまえば私はゴミ分別をする必要はないと考えています。

それについては別の記事で詳しいので、そこを参照していただければと思うのですが、ゴミの分別が本来不要である理由とは、ゴミの分別は高性能の焼却炉を導入することによって、不要になり、それを熱エネルギーなどとして再利用可能であるためです。

ゴミ分別をする必要は全くない、自治体の無為無策のツケと消費低迷

しかし、市町村ではそれができない。なぜならば、該当地域の公務員が自分たちの賃金を守るためがためです。

そのため、市民にゴミの分別と言う行為を市民に押し付けているということになります。

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あくまでも市役所からの「お願い」であったものを義務と勘違いする者たち

ですから別にゴミの分別など、自分が出来る時にすれば良いと思うのです。別にそれを神経質に分ける必要もないですし、そのために自分の時間を割く必要もありません。

とはいえ社会人の場合、一定程度の常識的な振る舞いは必要でしょうけれど。また、私はこのブログで違法行為を推奨するつもりは全くありません。あくまでも自分の無理のない範囲でゴミの分別をすれば良い、と考えています。

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市役所のお願いに対し強行的な手段を取るゴミの回収業者

本来、市役所の職員の給与を守るための「お願い」であったはずのゴミの分別について、何年か経つと、まるでゴミの分別が「市民の義務」であるかのように行政はに勘違いし、そしてゴミの回収業者がゴミの分別ができていないゴミ袋に対して、「これは持って帰れません」などというシールをペタペタと貼り付ける。

いや、それは違うのじゃないですかね?と私は思うのです。

ゴミの分別ができていないのであれば、それを持って帰って市役所が分別をすれば良いと思うのです。それは役所が自分たちの本来行うべき業務を放棄していると罵られてもしょうがないでしょう。

さらに、何を勘違いしたのか、その町内会などの老人たちがゴミ分別ができていない事に対するパトロール、などと、わけのわからないことを言いながらゴミ漁りをしようとする、あなたは痴呆老人ですか?と私は真顔で聞きたくなってしまいますね。

別にゴミの分別ができていないからといって、その老人たちが何ら困ることはありませんし、ゴミの分別ができないことによる、「エコ」に影響したところで、その老人たちが死ぬまでに地球環境に何ら変化が出るわけではありません。

つまり、これが日本の「お上」の押し付けによって、そこから生ずる下々の「善良なる人々」の相互監視が生ずるまでの、自主的な相互管理プロセスの発生の一例と言えるでしょう。

本来ゴミの分別ができていない、などと監視を行っている老人どもは、彼らこそ市役所や議会に行き、おかしな行政を糾弾すべきです。

「市役所の公僕たちは、我々の税金を一体何使っているのか?」と。

それにもかかわらず、行政の下手人の様な行動をしようとする老人たちは、これぞ日本の「精神の貧困」の見本市そのものと言えるでしょう。

そのような相互監視をする老人たちに、「お前の人生はそれでよかったのか?」と私は本気で問い詰めたくなりますね。

そのような老人たちは一刻も早くこの世を去り、年金を放棄されてはいかがでしょうか?それこそが最も「お上」が喜ぶことですから。

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