カネを撒けばバカが集まる
金を撒けばバガが集まる、とは誰の言った言葉かしりませんが、まさに今のYouTubeと言うメディアをよく表しているのではないかと思います。
最近YouTubeに、一昔前のブロガーたちが、こぞって進出しています。
かつてはYouTubeはいわゆるホームビデオ的な、自分の趣味のためのメディアであったにもかかわらず、最近YouTube内で検索をしてみると、まるでブロガー達が自分のブログを読み上げを見ているのかと思うような、そんな有様になっています。
一体いつの間にYouTubeがブログ発表会になってしまったのでしょうか。
結局はこれらの画面にしゃしゃり出て、そして、嬉し現に意見を語っていると言う事は、結局のところお金が欲しいがために、動画を投稿しているに過ぎないのです。
ブログでさえ実名顔出しをするような者が、それをさらに加速させたのがYouTubeであり、一般社会に戻るに戻れぬ選択をしてしまった者達の集団である、とさえ言えるのかも知れません。
そこまでしてまでお金が欲しいのか、と私は思ってしまうのです。
ちなみにブログでもそのような言論がありましたが、「実名当顔出しでなければ言っている事が信用できない」、などと言う議論がありますが、そもそも社会でまともにお金を稼ぎ、仕事を持っている人は、たかだか1億3000万人程度の、この小さな島国と日本と言う国で、社会的に実害を受ける可能性が極めて高い実名顔出しなどを行う必要が、そもそもありません。
それを議論のすり替えによって実名顔出しする事が、さも賢明な選択であるかのように喧伝する者達は、それらのブログやYouTubeと言うメディアに依存して金銭を稼がざるを得ない、すなわち、無敵の人予備軍とさえ言えるのではないかと私は考えてしまうのです。
そのような無敵の人予備軍達が一体何を言ったところで、それが信用に値する者ではありませんし、もちろん、私は、そのような人で嬉しげに喋っているYouTubeの動画を見る事は一切ありません。
それらは時間の無駄と言うものです。
もちろん、言うまでもありませんが、当サイト「警鐘と現象」では動画コンテンツに進出すると言う事は絶対にありません。
私は何度も書いていますが、私はある技術系の職業を行っておりそ、この稼ぎだけで十二分に食べる事ができるのですから。
そのため、ブログの収入はあくまでもお小遣い程度としか思っていませんし。また、別に、そのお小遣いが途絶えたところで痛くも痒くもないような収入に過ぎません。
そのため、途中の長期の中断なども挟みつつ、しかし、それでもなお私金の自分の言いたい事を言うために、このメディアを運営しています。
批判的情報を見ようとも思えないデメリット
これまでブログという文字情報のメディアであったため、自分の意見とは異なる意見であったとしても、客観的な思考を入れつつ、その者の意見を批判的に考える事が可能であったのですが、これが動画媒体で、喋っているのを見ていると、言論云々の前に、まず生理的嫌悪感が先に出てくるのです。
最初に生理的嫌悪感を感じてしまうと、そのオピニオンが良い悪いの検討段階に入る前に、その動画を見るもしくは、聞く事が苦痛の行為に他ならない状態なってしまうのです。
そのような意味で、いわゆる社会に物申す的な意見、特に為政者に尻尾を振るような意見は、一瞥すらする気が失せる、というのが私の正直な気持ちです。
これがまだテキストメディアであれば、自分の考え方を広めるという意味で、それらの文書を読もうと言う気もしなくはないのですが、動画と言うメディアで、それらヨイショ意見を流されるとは苦痛以外の何者でもありません。
「為政者にべったり」の者達の顔とは、このような顔なのか、との、ある種の好奇心は抱きますが、それらを視聴することが苦痛である事には変わりないため即座にタブを閉じてしまいます。
新たなるカモ集めの場としてのYouTube
これはブログでもありましたが、言われる情報商材やマルチまがいのビジネスの商材を売りつけようとする者達の本人が出てしゃべっています。
しかし、そこで喋っている者たちの人生はどうなるのでしょうね。
実名顔出しで「儲かった!」と動画でしゃべる者たちの将来、と過去、そちらのほうが「儲かった!」とやらの主張よりも遥かに面白く感じてしまうのは私だけでしょうか。
なぜ、彼や彼女は人様に、ヨイショ意見や嘘八百の「儲かった!」などと言うほら話を、晒してお縄になりかねないような振る舞いを「せざるを得ないのか」それを考える方がよほど面白いコンテンツに思えてしまうのです。反社会組織に利用されているのでしょうか? 何か精神的にユニークな状態に陥ってしまったのでしょうか? それらを考えるのは楽しすぎます。
動画時代? いや、それはカモを狩猟するための場所が移動しただけに思えてなりません。落書きをどんなに優秀なメディアで見ようが、落書きは落書きに過ぎません。
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