
法的根拠が理解しがたい頭髪「指導」
そもそも、一体、何の法的な根拠があって頭髪を無理やり強制させようとするのか、しかも、それが公立学校の教員、すなわち公務員等の行っている行動として、です。
それには全く法的な根拠はないでしょう。公務員等は「頭髪の乱れは学校の秩序を乱す」などと寝言を吐きながら、それらの頭髪の統一をさせようとしているのです。まるで全体主義国家のような行動と言わざるを得ません。
公務員の保身としての「指導」
おそらく教員達からすれば生徒を均一な品質として保つ事によって、問題行動を減少させ、自分達、つまり、公務員者は減点主義ですから、事なかれ主義によって、自分達の保身を狙った行動と言えるでしょう。
学校の校則で一番有名な所では、バイクにおける「三ない運動」と呼ばれる、バイクの免許を持たせない、乗らせない。運転させない、などの、二輪車業界潰し、とも言えるような、わけのわからない規制があります。
ただ、これは実際的に考えれば、就職の多い学校などであれば、学校にいる間にバイクの乗り方を指導する事によって、より安全運転を身につけさせる事ができるにも関わらず、です。
また、原付などであれば、「なぜ30キロ規制なのか」、実際の国道において三十キロ規制を守る方がよほど危険である、それらの矛盾として考えさせる、ちょうどいい機会だと思うのですが。
この三ない運動も、先に書いたように公務員達の事なかれ主義、そして、自分の保身のために生徒の行動を抑圧し「事故を起こさせないためにはバイクそのものを禁止する」という、極めて短絡的な保身的な考えに基づいた行動と考えざるを得ません。
教員の本来すべき行動
もちろん、校内でのいじめや暴力などとの問題行動について教員は、生徒間の人間関係を監視し、問題が起こった場合は問題起こした生徒に社会的な制裁を与える、本来これこそが教員に求められる行動ではないのでしょうか。
現実的には教員たちは自分たちの評価に響くことを恐れ、いじめの事実を隠蔽することのほうが多いのかもしれませんが。
現在は教員達が、問題を起こさない事を本質として捉え、自分の身の保身を図るがために生徒達をがんじがらめの「校則」で縛っているのです。しかし、実際の社会においてブラック企業もそうですが、生徒達が学校を卒業した瞬間に様々な社会的な問題が降りかかってくるのです。
その問題が降りかかってくる時に、どのように対処するべきなのか、本来それを考えさせるための学校であるべきではないでしょうか。
もちろん、親方日の丸の現在の事なかれ主義に染まりきった教員等に、そのような事を期待する事自体が難しいのかも知れません。
しかし、なぜ日本経済日本社会がここまで堕落してしまったのか? それらを考える時に、このような事に教員等の果たした、マイナスとしての役割は非常に大きいのではないでしょうか。
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