障害児が生まれた場合の人生への対応もしくは脆弱な社会保障

By | 2022年6月10日
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匿名であるがゆえに書ける意見として

繰り返しになりますが、私は自分が結婚しているが、子供がいるか、どのような家族構成か、そのような事は一切書くつもりはありません。

今、障害児が生まれた場合、その親御さんの悩みというものは、想像するに余りある苦しみと悩みを抱える事になる事は間違いありません。

人生にとっての非常な苦しみ、障害児を持つ親の苦しみをウェブ上で検索した場合、非常に惨憺たる結果が表示されます。

障害児を産んだのは自分なのだから、最後まで責任を持って介護しろ、障害児だって生きているのだから、それを生かす事は当然だ、などと、見ていて嫌になるような薄っぺらい正義感に満ち満ち溢れた、机上の空論が白昼堂々と行われているよう見えてしまいます。

これは、私がどこの誰を明かしていないブログを書いているからこそ、書けるとことだと思うのですが、障害者が生まれた場合、もう1番良いのは、「なかった事」にしてしまべきでは、と考えてしまうのです。

それは確かに、ナチズムとののしられるに等しい考え方かも知れません。

しかし、社会的リソースうんぬんの話ではなく、その子を産んだ親が悩むまたは、親としての責任として、そのような方法を「選ぶのことに対して法的に責任を問わない」という状況があっても良いのかも知れません。

命は大事、というプロパガンダの裏側

命は大事です。しかし、それは裏返しに見れば医療利権や、介護利権などの「持てる者達」の利権の死守のための言い訳ではないでしょうか。

もちろん、命の尊重という部分は理解します。しかし、そうは言いつつ結局、全ての責任は保護者に押し付けられる、そんなは矛盾した状態となっています。

もしくは、もう一つまともな発展的な方法を述べるならば、国家が障害児や障害者を面倒を見る、就職先を作る、全寮制の施設を作るべきではないのでしょうか。

女性が安心して子供を産み、万が一、その子供が障害児であった場合でも、社会として全責任を取ることを示す方法です。

何のために国家は税金を徴収しているのか?権力のある者や既得権益の者達を肥え太らせるためのものではありません。

最後に、現実的な対応として

もし、このブログに本当に我が子が障害を抱えていて、どうしようもない状態で、検索でこられた方のために、少しだけ救いになるかもしれないヒントを書きます。

行政といえども、障害児の両親がうつ病などの精神疾患にかかった場合、両親だけで障害児の面倒をみろとは「言えません」。

特にうつ病などにおいては医師の診断に大きなばらつきがあるのが現状です。

また、医師の診断書があれば不届き極まりない役所の窓口であったとしても、「自分達の不作為」に問われないために、法のとりうる、あらゆる方法で障害者の両親を救済するでしょう。

何せ、うつ病などの精神的な不安定を知りながら、それを放置し、両親が障害児に対して何らかの物理的手段を起した場合、責任を問われるのは行政なのですから。

それは決して、行政の親切心などではなく、役人達の自分達の責任逃れのための行政権限の最大の行使に過ぎないのですが、それを納税者は最大限利用する権利は確実に存在する、と、わたしは考えます。

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