
混迷する未来へのヒントとして過去を学ぶ
今のインターネットの時代、我々は様々な情報にアクセスする事ができます。
インターネットとはSNSやTwitter、それらのソーシャルメディアがクローズアップされていますが、インターネットは過去の知識の蓄積を知るためにも大いに役立つメディアです。
私がインターネットで大変興味があるものとして、昭和の写真があります。
昭和の写真、そこには日本の衰退と発展の歴史が凝縮されたものではないでしょうか。
大正デモクラシーを通じ昭和に入り、文化が一定程度まで発展し、そして、その後、戦争、国粋主義、そして、開戦。
そして、高度経済成長期、バブル景気、その結果として現在に至るドン底の不況。それらの流れをビジュアルとして知る事ができます。
世代は変われど、人は変わらない
過去の写真を見ていると思うのですが、日本人者は体系的にはほとんど変わっていないのではないか、と思うのです。
自分がいて、父母がいて、そして、祖父母がいる。今、自分から見る父母、祖父母は、それ相応の年齢をしていますが、彼ら、彼女らにも若い時代があり、そして、青春を過ごした。
そして、彼ら、彼女らが社会と対応してきた、「特段報道されることもなかった」当たり前の日常としての歴史を、インターネットでは知る事ができます。
今となって、彼らの話を、10代20代の年齢の者が聞くと、それは古い昔話のように聞こえるのかも知れません。しかし、彼ら、彼女らにも若者であった時代には、彼ら、彼女らも、自分たちの父母、祖父母に対して、同じような感覚を抱いたのでしょう。
ビジュアル強みとリアリティ
インターネットで一番の強み、それはビジュアルを知る事ができる事です。
つまり昭和初期から現在に至るまでの写真を検索しようと思えば、いくらでも検索できることです。
私が写真を検索するときにお勧めしたいのは、当時の若者の光景を見る事です。そこには、自分とほとんど変わらない年齢の当時の若者がいる。
彼らは当時の時代を、必死に生きている。そして、その彼らは現在では中年、もしくは高齢者になっている。つまり、時間は世代をもって、繰り返しされているのです。
彼らの「過去の話」とは、彼らの視点によって、意識として解釈されたものであり、それを写真で見ると、また全然違う感覚を受けます。
そして、時代の流れとは、かつて昭和の中期に若者であった者達が、現在、高齢化社会の老人となっている残酷な現実を見ることになります。
歴史を見る事は「神」の視点となる
特に一番私が興味深いのは、昭和10年ぐらいの日本が一定程度、発展した時期についてでしょうか。
その時代の日本は、一定程度の国力を持ち、そして、文化などもそれなに発展していました。無論、そこには現在よりもはるかにひどい貧富の格差があった事は確かです。 しかし、当時の若者達もそれらの青春の中で楽しい思いをしたのは事実でしょう。
しかし、その後、日中戦争が始まりそして、太平洋戦争へと繋がってゆく。昭和10年代の彼が、そんな事は何も知らないのです。恐らく彼らの何割かは戦場に向かったのでしょうし、そのうち何割かは生きて帰って来れなかったのでしょう
昭和の写真を見る事、それは自分が神の視点を持ち、それらの写真を見る事ができる事になります。
インターネットとは今のトレンドを知る事にも役立ちますが、過去を知る事によって、自分が今の時代に何をすべきか、そして、世界はどのような変遷を辿ったのかを知る事こそが、今後の混迷する社会を知る大きな手がかりになるのではないでしょうか。
言うまでもなく、写真の中にいる彼らはその後の日本の混迷に陥る事を知る由もありません。
また、それは逆説的に言えば、現在、写真を撮影したとして、それが将来、10年後、20年後見ると、さらに皮肉な感情として見る事になるかも知れません。
![]() ![]() ![]() |