就職氷河期世代は恋愛をすべき ツケ押し付けられ世代の微かな希望として

By | 2018年9月4日
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少子高齢化は作り出された社会問題である

そもそも、少子高齢化とは、政治の失敗にほかなりません。

なぜならば、現在、問題になっている就職氷河期の者達は、本来子供を産み育ていなければならない時期であるはずにもかかわらず、それを「なかったこと」に「されようと」しています。

それは、就職氷河期の彼ら、彼女らには、はまともな職が与えられなかっため、恋愛をすることも、結婚をする事も、子供を育ている事もできない状況に叩き落とされている状況であります。

また、本来であれば、就職氷河期の者たちに向けた救済策を取れば、少子高齢化社会に対して、幾分ましな状態に改善をする事が可能でしたが、一向に、この社会では就職氷河期の者等に対して救済策を取ろうとする気配の欠片すらも見えてきません。

この記事では今後何年か後就職氷河期の世代がシニア世代になった時代の事も含め、記事として書きます。

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何歳からでも恋愛をすべきだ

例えば、シニア層の恋愛は、痴呆症の予防、要介護状態の予防という側面に非常に大きな役割があると言われます。

結局、人間は何歳になっても恋愛感情者は確実に存在するのです。

それは老人ホームでの色恋沙汰話もありますし、また、老人ホームでの恋愛の結果、それまで車椅子や日常生活に介護が必要であった者がほとんど日常生活においては介護が不要になった事実さえ散見されるそうです。

これは、いかに人間が恋愛、もしくは、自分の頼る事のできるパートナーもしくは、頼られるパートナーが存在する事によって、精神の若返りの効果があるかを如実に示す実例です。

例えば、私の父母のどちらかが先に亡くなり、残された者が恋愛をする事について私が賛成するのか? と問われた場合、それは全体的には賛成します。

ただ、現実的な問題として結婚した場合、預貯金などが相手側に相続の権利が生ずる事実もあるので、通婚、同居までの段階を推奨したいのが本心でしょうか。(無論、同居も一定期間が経過すれば、婚姻と同等の法的拘束力を持ちますが)

具体的には、恋愛関係は認めるが遺産相続は行わない、事実婚のような状態でしょうか。

もしくは、生前相続の形を取った上で、結婚を認めるとしても良いかもしれません。

ただ、相続の問題については、きちんと話し合いをし、少なくともパートナー同士がお互いの資産が目当てではない事をきちんと明確にすれば、簡単に乗り越える事のできる問題であると考えます。

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就職氷河期世代と恋愛

話を戻します。

就職氷河期の年齢の者たちは、現実問題として、生活がどうしようもない状態になった場合、何ら躊躇する事なく生活保護を受け取ればいいと思います。

ただ、その生活保護を受け取る際に、別にパートナーがいても、結婚をしていなければ「単なるお付き合い」として、その状態を咎められる筋合いはどこにもありません。

また、そもそも結婚したとして、高齢の状態になった場合でも生活保護を差し止める事は不可能でしょう。

つまり、就職氷河期世代は、戦略的に「恋愛のみで、結婚をしない」方法もあるでしょう。この社会は「家庭」が存在すれば、そこに「自己責任」を押し付けようとするのですから。

つまり、お互い就職氷河期世代世代のパートナー同士で、互いが生活保護を受けていたほうが、より、選択肢が広がる可能性は否定できないでしょう。

無論、法律に抵触しない範囲で行うべきですが。

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総論として

恋愛とは、何歳になっても可能です。

人間の本能として恋愛をし、そして、それによって生きがいを得るのです。

それは、おそらく物心ついたときから人生を終える時まで全く変わらないのでしょう。

そんな自然な感情を人間は持っています。その環状を、もっと尊重していくべきです。それは自分自身にも尊重すべきですし他人にも尊重すべきです。

実際のところ、熟年離婚を行いづらい原因としては、年金の不足などの問題があげられます。

それは、意図的に現在の社会制度が熟年離婚をさせづらい状態としているのかも知れません。特にそれは扶養家族などにおいて、です。

しかし、今後、不安定化する社会において最終的な単位は個人であり、いざとなった場合、個人での生活をする事のできる、個人が自立している、それがゆえに、いつでも何歳からでも恋愛をする事のできる生き方を目指すべきではないでしょうか。

そもそも現在の少子高齢化事自体が子供に対する社会投資の不足の側面があります。

多くの場合、恋愛によって、その結晶として子供が生まれます。 もちろん、そうではない場合もあることも、理解します。

ただ、一旦子供が生まれてしまえば、それは自分達の社会で生まれた子供であり、子供の将来への責任は社会が全て持つことを、社会としての意思表示をせねばなりません。

しかし、この社会では、それらは、一切できていません。

小学校の教材市中学校の教材品などを見て分かる通り、この国の教育とは単なる、利権の延命に過ぎません。

就職氷河期の人々は、したたかに、社会を活用し、恋愛をするべきです。子供ができる、できない、は別として、恋愛は人生を楽しくするのです。

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