ネットを見る暇があれば本を読もう ネットと本、断片と思想、ネット知識の危険性

By | 2017年4月25日
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ウェブは思想の断片でしかない

今の中高生などはwebで物事を調べる事が、もう物心ついたときからそのような生活をしているのかも知れません。確かにwebは物事を手っ取り早く調べる事ができる非常に便利なメディアです。

しかし、ウェブの情報の断片的情報に過ぎないのです。

断片的情報とは、それは、すなわち誰にでもわかるように、わかりやすく噛み砕いた、ごく初歩的な情報にすぎません。

それどころか、アクセスのために意図的に情報を歪曲し、どうでもいい事をさも大切な事であるかのように書いたり、もしくは全く逆に、本来、国民にとと非常に重要な情報を、別の情報を大げさに伝える事によとマスキングをする、そのような事がウェブでは堂々と行われています。

ニュース、特に社会、政治系のニュースは受け取る者の思惑によって、同じ情報であったとしても、全く正反対の味方として受け取る事ができます。

そのような同じニュースの別の見方を行う事ができる事を利用し、為政者にとって都合のいいプロパガンダを垂れ流すものが多くいるのが現在のwebの状況ではないでしょうか。

また、様々なニュースに、本来そこに付け加えられるべき情報の背景については、ほぼ書かれていないと思うのが正解でしょう。

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一見、センセーショナルな記事の裏

まとめサイトなどがありますが、そこで扱われている事象は極めてウェブ的です。

自分の都合のいいデータを抜き出し、そして、短文で、センセーショナルな事実だけを強調する、そうする事によって耳目を集める話題を作る事ができるのですから。

しかし、どのような物事であれ、それには背景があり、なぜそのような事態になったのか、それらの背景的事象をきちんと見ねば物事の本質とは掴めるものではありません。

その一番わかりやすい事例は、いわゆる保守系のまとめサイトでしょう。彼らはアクセスありきでいわゆる「ネトウヨ」に媚びる記事を書くことが最優先なのですから。また、そこには何らかの為政者の思惑も入っていることでしょう。

まとめサイトは若者が「保守」政治思想への入口になっている可能性は十分あるでしょうから。

また、自称、ブロガーという者達の書いているブログも似たようなものですが、まだブロガーの方が、自分の小金稼ぎのために商品やサービスをヨイショしているだけなので、社会的に見ればまだマシなのかも知れません。

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ウェブは調べごとには良いが、読むには向いてない

webは調べるためのツールであれど、決して物事をじっくりと考えるためのツールではありません。

また、考える意味では、様々な意見の選択肢を自分が提案できる、もしくはそれらの選択肢を保有しているのであれば、良いのかも知れませんが、webでその考え方を知ろうとするのは、特に思想などの場合、非常にまずい側面に落ちてしまいそうな気がします。

保守思想がウェブ上には溢れかえっていますが、それらは為政者が何らかのメディア対策としてそれらの情報をばらまいているように思えてなりません。

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ウェブと本の調和と生活

私も反省すべき点はあるのですが、webを見ている時間があるのであれば、その分、本の一冊でも読もうと考えるようになりました。

ウェブばかり見ていると、議論が非常に薄っぺらなものになっている気がします。

本であれば文章量ゆえ、一つのテーマを掘り下げて行かざるを得ないですし、また本の場合、寝転がってさえ読めます。また、読みながら自分のペースで考える事も可能です。

無論、それらはタブレットの電子書籍でも可能かも知れませんが、物理的な本を読む行為こそ、人間が考えるための物理的行為です。

今後、webが普及するからこそ、本を読む者が考える力において、優位性に立つ、その時期が来ているのではないでしょうか。

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