
誰もが自分のメディアを持つことのできる時代
今は中学生や高校生でもスマートフォンを持ち、そこでSNSなどで自分の意見をお手軽に発信する事ができる状況になっています。
しかし、これが数十年前であれば自分の意見を世に問いたいのであれば、同人誌などを作る、もしくは、新聞社などのマスコミなどの媒体を通じた発信方法しか基本的にはありませなんでした。
もちろん、ラジオなどでミニ放送局を自分で作るなどの方法はありましたが。
ブログ自分のメディアして考えた場合、これは雑誌がどのように構成されているか、として考えると、やたらと広告の多いと考える事ができます。
私も人のことは言えませんが…。
せっかく自分のメディアを作っているのに、広告だらけの、一体どれが本文なのかわからない、そんな雑誌メディアを今のブログは喜々として作っている、そんな状況と言えるのかも知れません。
それは雑誌と言えば、通販カタログのような物なのかも知れません。しかも、その通販カタログはやたらと編集者がしゃしゃり出て、「私はこんなに凄い。だから、この通販カタログを読むべきである!」と喧伝しているカタログと言えるでしょう。
しかも、その広告は、広告とは分からせないように読者に記事を読ませようとする手法を使い、その記事の最後に、それまでの文章を全て受けたような商品を載せようとしているのです。
実際に通販カタログは無料でドラッグストアなどに置あり、今のWebの状況に合わせて考えるならば、SEOを利用する事によって、様々なドラッグストアに自分の通販雑誌を置こうとする、そんな状況かも知れません。
日本語のディスプレイ表示への黎明期としての現在
また、別の角度から見ると、ディスプレイに日本語が表示される文化自体の日が浅いです。本来、日本語の文字は縦書きで書かれる事が前提で、また、根本的には筆で書く事を前提として作られたものです。
日本語は今でこそ、鉛筆やボールペン、ウェブ上においてはキーボードで入力する言語となっていますが、元々は毛筆で、それは線と面で表されてきた文字です。
つまり、今のブログ、より正確にはウェブ上に存在する日本語は、それは未だ発展途上も、しくは、横書きでディスプレイで表示する歴史においてはわずか数十年程度しか存在しない、新しい日本語の書き方と考えることも可能です。
また、小説家や近代文学なども含め、明治以降の活字によって日本語が記述され始め、ようやっと数百年といったところでしょう。そような時代の中で、個人が自由に意見を発表できるようになった、しかも、それがキーボード入力でディスプレイに表示できるようになったのは、わずか数十年の事です。その数十年の時代の黎明期としてブログは存在しているのかも知れません。
日本語の文章とは、それは俳句や短歌などに見られるように長文を語るために作られた言語ではないような気もします。また、表音文字ではなく一文字の漢字を使っている事からも見れるように、日本語は非常に言葉のニュアンスをよく表す言語です。
それらの、「新しい表現の黎明期」としての現在としての見方は可能かもしれません。
技術の初期はろくでもないことに使われる
原子力の開発そのものの理由、そして、ダイナマイトの戦争への利用、それらの例を出すまでもなく、最新の技術とは、それは往々にして不幸な利用のされ方をするものです。
しかし、平和ではない利用を行う期間があったがゆえに、人間はその愚かさと、その利便性を知り、それらを平和的に使おうとする風潮になってゆくのです。
それは今のブログメディア、すなわち、個人が自由に全世界に向けて発信をする事が可能になったブログメディアも、まだ発明後の黎明期で、平和的利用がなされない時期にあると言えるかも知れません。
無論、ブログが出現する前の、インターネットを個人が使用するようになったごく初期の黎明期において、わずかな期間は商用目的を主たる目的としない、平和的な期間があった事は、私は十二分に認めます。
しかし、そこへWordPressなどのCMSの出現によって、ブロガーと称する者達が、自分のカネ目当てのメディアとして散々に書き散らし、相互協力することにより、結果として彼らはメディア役割を忘れ去り、自分の通販カタログをウェブ上に、えんえんと作ろうとしているのです。
とはいえ、それは自分の好きな事を、好きなように書けるようになったWebの黎明期が、ようやく第一歩を踏み出すことができた、それがゆえの弊害、と考える事もできるのです。
おそらく、数十年後には今のウェブはこう見えるのでしょう。
「発言の自由」を与えられた人間は、カネ目当て、そのための売名目的のウェブがはびこりました。
と。
それは、将来的な視点を持って考えるならば、現在進行形としての淘汰される歴史の真っ只中にあるのではないでしょうか。
とはいえ、将来的には音声読み上げのAIなどによって、ウェブの主流が「人間が選択するコンテンツ」ではなくなった場合、今の網羅的なカネ目的のサイトは淘汰されていく未来が待っているように私は見えてなりません。
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