
現在のインターネットに欠けている者それは強さと優しさである
やさしさとは他者への共感です。共感とは、現在の社会で広がっている格差や貧困とそれに対しての視点です。
インターネットでは生活保護叩きが有名な所ですが、それは明らかに弱者への視点が欠落した、まるで自分が強い立場である事を肯定するかのような行動に見えてなりません。
インターネットには優しさの視点が無い、もしくは欠落しているように思えてなりません。
人の不幸を嘲笑い、揚げ足を取るような議論、それらは優しさのない、自己中心的な人間のエゴイスティックな部分を剥き出しにしたような意見がインターネットの議論の中心になっているのではないでしょうか。
世界中に自分の意見を伝える事ができるようになったとき、人々は何を伝えるのか
そもそもインターネットの特徴とは、誰もが発信をする事ができる、これまでにないメディアです。
インターネットができるまでは、自分の意見を世間に広く伝えたいのであれば、マスコミに入るか、もしくは自分でミニコミ誌もしくは同人誌を作るしかありませんでした。それが今は自分の部屋で、もしくはスマートフォンを使えばどこからでも自分の意見を全世界に向けて伝える事ができます。
インターネット黎明期においては、インターネットを使用できる者は、一定程度のお金と技術のある者達がインターネットの掲示板などで発言を行っていました。
また、HTMLを手打ちしたホームページもありました。そのような時代は、極めて常識的な発言が多かったように思われます。それはある意味では当然の結果です。
なぜならば、それらの人々は一定程度の教育水準を持ち、その上での知的好奇心としてのインターネットを使っていたのですから。
ところが今では高校生でもスマートフォンを持つ事が当たり前となった世界において、それはSNSやTwitterもしくはニュースのコメント欄、それらに自分の意見を好きに書く事ができる時代となりました。
しかもそれは何らインターネットに対する情報教育を受けていないに等しい者が、それらの書き込みを行っていることになります。
そしてその内容は衝動的な、時に差別的な、そんな内容である場合があるのではないでしょうか。
誰もが発信できる状況になったからこそ、より人間の醜い部分が直接的に露出してしているのが現在のインターネットといえるでしょう。
他人への共感をインターネットは大事にしなければならない
私は散々、このブログに書いていますが、公務員や政治家の体たらく、それらによって、今の社会の劣化が行われています。
ネット上にばらまかれた「ヘイト」を信じるのは思考停止にほかならず、それは誰かのプロパガンダに染められている可能性が極めて強いのではないでしょうか。
事実、いわゆるネット右翼と呼ばれる者達は、これは何らかの意図を持って、それらの差別的な発言をしていると私は考えています。
また、それは18歳選挙制度と密接に結びついた言論誘導とも言えるかもしれません。つまり、若者たちにそれらの過激な思想、もしくは「『敵』から日本を守る」などの幻想を刷り込む事によって、現在の為政者への投票を促すような意図が透けて見えるような気がします。
インターネットにおいて求められるのは、技術や小手先のテクニックではなく、現代の社会問題を認識し、それを声を出していく事が一番大切なのではないでしょうか。
もっとも、そのような社会問題を認識する事については、インターネットとは、極めて脆弱なメディアなのかもしれません。
問題を認識するためには一定の知識が必要ですし、その一定の知識を得るためにはインターネットではなく、読書の方望ましいです。読書は読みながら「考える」事を強要するメディアですから。それに対し、インターネットは揺動的な、悪意に満ち満ちた情報が簡単に目に入ってしまいます。
現時点でのインターネットとは、弱き者がさらに弱き者を叩く、不のスパイラルを作っているメディアなのかもしれません。
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