孤独を肯定すれば、人生は楽しい 孤独をベースとした人生のあり方

By | 2018年2月7日
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孤独の何が悪い事なのか

私は孤独が悪い事と思っていません。私は企業には属しているのですが、非常に独特な働き方のため、あまり人と接しなくとも良い部署にいる、とも言えるかもしれません。

そのかわり、そこでの成果の全責任は私に覆いかぶさってきますし、また、その後、他部署と情報を共有をせねばならない点も多々あるのですが、それでも自分の行った作業の分担割合を事を明確に主張する事ができます。

プライベートでも同じです。私には今、パートナーがいますが、パートナーとの時間も楽しいですが、しかし、それよりも私は自分の孤独の方が楽しい、とすら思ってしまう瞬間が多々あります。

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異性との付き合いは疲れる

パートナーとの関係も概ね良好に進んでいます。パートナーの方は結婚も考えているようですが、私はどうなのでしょう。

それはさておき、パートナーと一緒にいる事は、それは必ずしも常に波長が合う時間ばかりとは限りません。

そのためお互いに孤独を肯定する事、お互いに自分の孤独の時間を持つ事、それらをふたりとも肯定的に見ています。それのできるパートナーが私にとっては最良のパートナーに思えてなりません。

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孤独とは、考える事

孤独は何をしても良い時間です。それはすなわち、私の場合、無職の期間は非常に楽しくて仕方ありませんでした。

無職の期間から、どのようにして自分の好きな事だけをして生きて行こうか、と考えた場合、たどり着いたのが今の会社であったりします。

私は時々自分の会社についてほんの少しだけ書く事があるのですが、決してホワイト企業だと思いません。むしろを限りなく黒に近いグレーの会社であると考えています。

しかし、それでもなお、この企業に属する理由とは、私の孤独そして、私の独断と単独の行動を許してくれるが故に、私はこの企業に属しているのです。

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無駄に人間関係を作らない、取り込まれない

そのため私はこの企業で別に人間関係を良くしようと思いませんし、また、上司や同僚に対しても必要以上の愛想をふりまく事も絶対にありません。

それは私のプライベートも含めてそうなのですが、必要以上に人間関係を作ってもしょうがない、との考えが根底にあるためです。

つまり、今後、社会は孤独が肯定されるべき、と私は主張したいのです。もちろん、必ずしも孤独を望むような人ばかりではない事も理解しています。

しかし、私は孤独を望みますもし、もし、孤独に悩なのでいる人がいれば、それは本当に悩むべき事なのか、と問わざるを得ません。

孤独が自分にとって嫌でなければ、もし、孤独を「社会的に好ましくない」と信じ込んのでいるのであれば、そんな考え方は一旦ゼロに立ち返って考えてみる必要があるのではないでしょうか。

少なくとも私は、自分の孤独との自分の時間者が楽しくて楽しくてしょうがありません。

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