孤独は寂しいことでない。人生の基本単位としての孤独を楽しむ考え方

By | 2020年4月27日

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私の感覚の中に人恋しいという感覚はありません。仕事での連休があれば、一人で食事に行ったり、ドライブに行ったり。そういった時間に「自由」を感じ、人生の楽しみを感じます。

孤独こそが人生の楽しみ

休日に一人で過ごす事こそが現在の最たる自由の実感だと信じていますし、数ヶ月に一度、気の合う仲間とコーヒーを飲みながら数時間程度議論する事は知的好奇心を満たすものの、それ以上の関係を求めようとも思わないし、それ以上の関係を求められることも私は拒みます。

「人は一人では生きられない」などとテレビやウェブで人々がしたり顔で話しますが、現代の社会において、殆どの部分が自己決定に基づく選択でありうるし私は私の生活に他人が干渉する事をひどく嫌悪します。

私は一年半ほど無職ニート生活をおこなっていました。その間、就職に関して情報収集を行うために行政主催のセミナーなどを利用して人付き合いを行いましたが、それは自分の好奇心を満たすためのものであり、その目的以上でもないし、それ以下でもない。なので、そこで友人や知人を作ろうとは思いません。

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孤独を利用するものたち

孤独に慣れること、孤独の時間を楽しむことができることこそ、自分の人生をより良く生きる方法であると私は確信しています。

孤独を利用するものとして、そこに人間関係を利用したネットワークビジネスなどでカモにされたり、新興宗教などの勧誘に利用されるのです。

孤独に向き合うことは自分を守り、そしてよりよい人生を生み出すための重要な事項です。

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孤独が寂しいのであれば

孤独が寂しいのであれば、ウェブを見るなり、本を読むなりしましょう。人間、何か没頭できることをしていれば、孤独を忘れることができます。そして、せっかく没頭するのであれば、それは人生にとって役に立つ事のできる趣味であれば、なおさら好ましいです。これにいて、私は読書をおすすめします。下記より孤独と読書についての私のブログの記事があります。

人生が寂しいと思う時の対処方法、簡単かつ安価、そして人生を高める方法

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ウェブこそ人間関係はわずらわしい

私はSNSやTwitterなどは全くしたいとは思いません。なぜウェブで自分の人生に介入されねばならないのか。リア充気取りの知人たちの情報を見ねばならないのか。そんなことはどうでもいいことです。

ウェブでのつながりと言うのは、「孤独に耐えられない」人にとっては良いツールなのかもしれませんが、孤独を肯定する者にとっては、SNSやTwitterは敵です。

仕事と孤独

ちなみに、仕事は仕事と割り切っています。仕事など金を得るためだけの手段であって、それ以外に何ら意味はありません。

そのため、絶対に自分の趣味や本音は口に出しません。たかだか仕事ごときの関係でそれらに関心をもたれたくないし、もたれる筋合いもありません。

今の世の中、「全人格労働」「ブラック企業」などが横行していますが、それらは人間を人間として扱わない企業であって、彼らは孤独を嫌い、「一人でじっくりと考えさせない」ために、休日まで拘束しようとするのです。

あまりにも忙しい状態になってしまうと、忙しいと言う漢字の表すように心を亡くす事とと同じです。そのような働き方は企業にとってのみ得なことであり働く側にとってなんら得するものではありません。もちろん自分がその仕事が好きで没頭しているのはのであればそれはまた別の話かもしれませんが。

人は一人で生きねばならない

人は一人で生きるものです。友情だの友人だのと軽々しく口にすべきではないと思います。そんな事を言う人物を私は信じません。

友人関係や恋愛関係とは、「個人と個人」の関係であり、依存、束縛とは全く異なるものです。それを理解していない人と付き合うことは苦痛です。

孤独こそ自分を成長させ、前に向かわせるもの。自由とは全ての責任を自分に課す代りにあらゆる決定権を手に入れる事。たとえリスクがあろうと私は孤独と自由を愛します。

とまぁここまで書いてきたのですが実は今私にはパートナーが存在するのですが。ただパートナーが存在したところで、お互いに一定の自分の時間を持つこと、それはお互いの良い関係を続けていく上で非常に重要なことではないかと常々主張しています。お互いのプライベートの時間があるからこそ、お互いを尊重できるのですから。惰性は恋愛の敵です。

孤独の利用と下心としてのボランティア

ちなみに孤独に耐えがたい時は、私が個人的に思うのはボランティアなどに参加するのが良いのではないでしょうか。

東京オリンピックなどで無償ボランティアの方に対するひどい扱いが問題になっていますが、そのような「誰かの得」になるのではなく、自分のため、もしくは人脈を作るためにボランティアに行くと言うのはありかもしれません。

なぜならばボランティアとは、損得関係のない人々の集団であり、そこで友人またはは異性関係を見つけるための下心があって行くのは当然の権利なのですから。

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