孤独の肯定と集団主義社会、その対応方法について、社会の同調圧力と個人

By | 2018年3月24日
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独居老人の増加の何が悪いのか

今後、少子高齢化により孤独の孤独の独居老人が増えて行くと言われます。それは少子高齢化に対し無為無策を続けている為政者の責任問題としての社会問題の噴出に他ならない事ですが、少なくとも私は孤独そのものについては決して悪い事であるとは考えていません。

また、少なくとも私個人で言えば、現在問題になっている老人が孤独に最期を迎えるという問題について、これが一体何が悪いのか全く理解できません。

自分の人生の晩秋に自分の好きな事をしながら自立した生活をし、ある日苦しむ事なく一人で最期を迎える。それで全然いいのではないでしょうか。

むしろ逆に考えてしまえば、一人で最期を迎えるという事を恐怖として植え付ける事によって、集団主義の正当化をしようとしている、そんな社会の見えざる本音がそこにあるのかも知れません。

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集団主義を個人に強要する社会

私は人間は生きていく最小単位とは、個人であると考えています。ところが、それが現在の社会によって集団主義を強制されていると言えるでしょう。

日本の集団的主義の最たる姿として、第二次世界対戦末期における「カミカゼ」などの、いわゆる国家に帰属する集団主義の究極の姿を見出す事ができます。

その後、日本はアメリカによって与えられた民主化という名のもとに、現在の社会状況に状態になってきました。

しかし、その内容として行われているのは企業などにおける集団主義また、地方における村八分などは、今だに根強く残る集団主義の実例に他ならないのではないでしょうか。

つまり、民主主義という概念自体が日本人は未だに定着していないか、と考える事ができます。

孤独との付き合い方がうまくできない原因として、それは企業における集団主義にあまりにも慣れ切ってしまったため、また、そこに自分の生活のベースがすべて存在してしまったため、そこから退職してしまう事による疎外感が存在し、社会とのつながりを感じる事ができない、という原因があるのではないでしょうか。

確かに企業では1日8時間、もしくは、それに対するサービス残業の何時間かを我慢する事によって、自分の生活を無条件に回していく事はできるのですから。

しかも、それは自分の子供やパートナーがいれば、なおさら無言の圧力としてそのような日々を繰り返さざるを状況に陥るでしょう。

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孤独の感情の根本を考える、集団主義と無責任

日本の孤独における問題のすべてとは、集団主義からの離脱による、もしくは、それに対する個人での対応ができないことに事に全ての問題があるのではないでしょうか。

そのために、小手先の問題ではなく、まず企業社会そのもののあり方について考えるべき、と私は考えます。企業が集団主義に陥るがために、そこから疎外される人物が出てくる、そんな考え方です。

人間はひとりでは生きていけない、などと日本社会ではよく語られます。それは確かに事実でしょう。しかし、日本社会は集団主義であるからこそ、個人は自分を尊重するという考え方を絶対的に持たねばならない事も事実です。

集団主義の結果として何が起こったか。それは今の社会を見ればわかります。絶対に責任を取ろうとしない官僚達、そして、絶対に責任を取ろうとしない政治家達。そして、企業でも同じ事です。

そして、ジリ貧とも言える日本社会。責任者は常に曖昧。責任者が誰であるかすらわからない。そんな無責任者会です。

それは集団主義とほぼイコールでの無責任者会と言えるでしょう。つまり、集団責任は無責任という事です。

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インターネットは孤独を肯定する

とはいえ、ここまで書いてきましたが、今後、少なくとも一部分においては集団主義から離脱しようとする者達の動きは確実に増えていくでしょう。

無論それは数パーセント程度の増加に過ぎないかも知れませんが、その原因としてはインターネットあると思います。

これまで集団主義の考え方が当たり前であった社会において、個人として自立する情報が少ない現実がありました。また、いわゆる少数者として孤立させられてきた状況でもあります。

しかし、インターネットが発達した事によって、それらの孤独を肯定する者達が発信をすることができるようになりました。そして、それは同じく孤独を肯定したいと思える者達が簡単に情報を検索する事ができるようになったことと同義語です。

また、それは情報の受け取りや情報の発信の際に、それぞれが孤独なままそれを行う事ができるのもインターネットの特徴です。

もし孤独感に対し疑問や、それを本来を肯定したいと思っている人々は、是非とも孤独を肯定する生き方を検索し、発信されることをおすすめします。

私が注目しているのは「Bライフ」の高村氏でしょうか。

世の中には一人で十二分に楽しく生きている人がいます。そのような人々の生き方を注目する事によって、自分の生き方をより深く見直すきっかけになるのかも知れません。

社会派は孤独は悪であるかのようなプロパガンダを垂れ流します。しかし、それは現在の社会を延命させるための方便にすぎないと見えてしまいます。

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