熊本地震の被災者「わがまま」はプロパガンダとしての被災者叩きであり、社会衰退の証拠である理由

By | 2016年9月3日

このブログの検索結果を見ていたら、「被災者 わがまま」 というフレーズで物凄く検索されているのですよね。

ウェブを使う人々なのですから、当然それなりの社会的リテラシーがあるものとして私は今までブログを書いてきたのですが、実際は全然逆で、テレビの垂れ流す「お涙頂戴物語」と「被災者のわがまま=自己責任論」という為政者にとって極めて都合のよいプロパガンダにドップリ浸かっていて、それを補強するためのメディアとしてウェブを使っているのだと考えられます。

自分はテレビとスマホの前で何ら不自由すること無く、彼らの不幸をエンターテイメントもしくは対岸の火事として眺めているのでしょう。

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お涙頂戴に隠された被災地の惨状

震災で若い人が亡くなると、皆がその者を賞賛したり、そんなマスコミの報道姿勢に欺瞞性を感じるは私だけなのでしょうか。これは東日本大震災の時もそうだったのですが、大きな自然災害が起こると、マスコミは思考停止状態においっていたように思えてなりません。

「被災者がこんなに困った生活をしてる時に国民は『細かな問題』にグチャグチャいうな!」

とでもいいたのでしょうか。マスコミ、為政者は。お涙頂戴報道は為政者のプロパガンダ放送、という言葉がぴったりですね。戦時中もこんな感じだったのでしょうか。

震災の行政対応に疑問を呈する私など「非国民めが!」と罵倒されまくりなのでしょう。

これが天災だからこそ、それらの「美談」を違和感を比較的、少なく感じるのかもしれません。しかし、例えばこれが某国からの武力攻撃事態であったとすればマスコミは戦時中の大本営発表、進め一億火の玉だ!、に瞬時にして豹変するのでしょう。

マスコミはお涙頂戴物語によるプロパガンダを垂れ流す前に、被災者が物資の不足、困窮していた状況を伝えたのでしょうか?

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被災者はわがままではない

私は被災者はわがままであるとは、ほぼ思いません。体育館の避難所で暮らし、プライバシーが確保されないがゆえに車中泊を強要され、生活物資すら入集困難。

エコノミークラス症候群で亡くなった方すらいる。ここ、本当に「先進国」でしたっけ?

少なくとも先進国と自称するなら、何が何でも彼らの生活が元通りになるよう、人的、財政的リソースを最優先で割くのが当然だと思うのですが。

被災者は当然の権利を主張すべきだ

熊本地震という非常時の場合、被災者はそれらのホスピタリティについて、納税者として当然の権利を主張する権利があります。憲法に謳われる「健康で文化的な最低限度の生活」が被災時、もしくは回復行程において、東日本大震災、熊本地震の被災者に保証されていたでしょうか?

普段、バカ高い税金を払わせられているのですから、天災による被害が生じた場合、当然、納税者として声を上げる権利があります。行政、立法がまともな対応ができていないのであれば、当然の要求をする権利があります、被災者は怒り、発信すべきです。

被災者はもっと怒るべきです。そして、その怒りを伝えるべきです。

被災者は「感謝」とか「絆」を言うべきではありません。

そんなこと言う前に、自分たちの怒りをマスコミに伝えさせるべきです。何のためにあなた方は普段バカ高い税金払ってるのでしょう?

国は平時、いかなる手段を使ってでも税金を徴収するとき「だけ」懸命になって、いざ天災が発生しても、それらの払った税金が有効に使われている社会と言えるのでしょうか?

行政の怠慢と無責任の被害者としての被災者

国はバカ高い税金をありとあらゆる機会で国民から掠め取ることだけは懸命で、その挙句の果てにマイナンバーと称する国民管理番号まで作りました。しかし、今回のような一大事の時には「自己責任!」と言い捨てる。一体どこの発展途上国ですか?

「予算がない」とか「人出が無い」とか行政は壊れたレコードのように繰り返しましたが、それは普段から柔軟性を考えてこなかった、責任逃れとしての行政体質の発露ではないでしょうか?先に東北大震災を経験したにもかかわらず、です。

予算や人的リソースの不足を行政不作為の言い訳として用いるのはあまりにも人々を愚弄したものといえるでしょう。また、熊本地震における行政対応は、この国が社会的、文化的に明白に衰退過程であること浮き彫りにした事実に相違ありません。

「何が救難物資が届かない」、なのでしょう?全国に暇な公務員は掃いて捨てるほどいるのです。それらの余剰人員をヘリでも気球でも、いかなる手段を使ってでも被災地に到着させ、物資の分配業務、復興作業に従事させるべきでした。

予算がない?何のための「公務」員でしょう。給料を削ればいいのですよ。休みを削ればいいのですよ。全力で公務員を働かせるべきです。普段のうのうと税金に寄生しているのですから、一大事の時くらい自分の身を惜しまずに国民の下僕として働いて当然でしょう。

特に地方自治体の職員たち。縁故採用で特権階級気取りしている暇があれば、一刻も早く被災地に趣き、砕身粉骨で働くべきです。

人間としての誇りをもって震災に臨もう

ウェブが熊本の人々が震災によって直面する困難において、「わがまま」というレッテル貼りで弱き人々を切り捨てる事を絶対に容認してはなりません。

たとえ経済的、政治的、社会的にこの国が腐敗と衰退の極みであったとしても、弱き人々を叩いて悦に入るなど、人間としてのプライドをも捨てていることに他なりません。

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