
上から目線の発言は損をする
私は仕事でいろいろな人に会うのですが、そこで非常に気になる人物とは、上から目線で物を言う人でしょうか。しかも本人にはその自覚がない。本人は全然、自覚なく言っているのかもしれませんが。
それは育ち方の違い、もしくは社会的常識の話に原因があるのかもしれませんが、そのような発言は本人の意図とは全く別の方向に物事が動いて言ってしまっているのではないかと思う事があります。
そのような人々は、何も意識をせずにそれらの発言を行っているのですから、極力、自分は関わり合いになるのを避けるのが一番最良の策なのでしょう。私の場合、それらの人々とは積極的に「関わらない」ように仕事をしています。別に嫌な人物と無理して付き合う必要はないですから。世の中メールというツールもありますし。
言葉、とはそのものの思想を無意識に表すものです。その言葉がおかしい、ということは、そのものの人格そのものを疑われてもやむを得ない部分があるでしょう。
また、そのような人々に何を言ったところで全然、効果はないのでしょうから。
私としても別にそれで環境その人との関係性を おかしくするつもりは全くないので、それ言うつもりはありませんがまず知らせを聞いている私としては非常に不愉快な感情しますねという事です。
意識高い系は日本語を使うべきです
あと、同じような感覚として、「意識高い系」の人々も同じような感覚を受けてしまいます。
その一つの分かりやすい例として、横文字をやたらと使いたがることでしょうか。
議題といえばいいのに、アジェンダと言ってみたり、関わる事をコミットと言ってみたり、それは自分はカッコイイと思って言っているのかもしれませんが、聞いているほうかすると非常にイラッとする言葉遣いです。
頼むから日本語で言ってくれませんか?別に私はその日本語で言う事自体にこだわりはないのですが、横文字言葉を使って「仕事ができるように見せる」その態度が異常にイラッとくるものがあります。
言っている本人はその英語の横文字のビジネス用語かっこいいと思って言っているのかもしれませんが、英語を話せる者からすると、「お前は日本語の能力がないのか?」と本当に真顔で聞きたくなります。
それらの横文字を使う、という根底心理は自分の行動に対して自信がないため、それらをカモフラージュするために、横文字を使い、自分を装飾しているのではないか、と思わざるを得ません。本人たちはそれがカッコイイこと、先端的であること、のように勘違いしているのかもしれませんが。
もちろん、その概念が日本語にない場合がある場合も存在しますが、それでも、極力横文字を使わない事が、まともなお仕事をする人条件なのではないでしょうか。難しいことを難しく言ってもしょうがないのですから。難しい言葉は少なくとも顧客の前では簡単に言い換える、もしくは別の概念で言い換える、などの必要があるのではないでしょうか。
そのような人はウェブや自己啓発書まがいの本を山のように読んでいるのかもしれませんが、あんまりそういう事する意味は無いのではないかと私は思います。
言葉は重要だが、もっとも重要なのは結果
とはいえ、仕事とは、少なくとも中小企業においてはその途中経過がどうであれ、きちんと結果を出しさえすれば何をしようが結果をそれなりの事で出せばよい、とも思ったりします。この記事で言っていることと若干の矛盾はありますが。
とはいえ、言葉遣い一つでその者の思想の根底が見えてくるのは確かなことでしょう。
私も別に人の事を言えるような綺麗な言葉遣いをしているのではないですが、少なくともきれいな言葉を使うことは必要でしょう。
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