外国人労働者、外国人材にはリベラル(左派)だが絶対に反対する、その理由

By | 2018年6月9日
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まず初めにお断りとして

私は国籍や人種、肌の色、宗教などで差別を行う意図は全くありません。

移民に反対、との言論はドイツのネオ・ナチや国内に存在するレイシスト、ファシストらを象徴として、差別主義を連想させかねない議論ですが、私はこの記事では「差別ではない、それ以前の問題」として移民政策に反対する理由を書きます。

おそらくは外国人労働者、「外国人材」の導入に反対する者に対し、為政者達は「差別主義者」「レイシスト」というキャッチフレーズでレッテル貼りをし、思考停止に追い込もうとするのでしょう。

もちろん、私はレイシストや差別主義ではありません。

まず外国人労働者を投入する前に、この国で行わればならない事がたくさんある筈です。

すなわち、外国人労働者の議論の前に、まず国内の問題を直視すべきであると考えます。

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現在の日本に移民、外国人材を語る資格はない

そもそも、なぜ労働人口不足になったのか? その原因は就職氷河期と言われる者達に対し、まともに仕事を与えてこなかった事に他なりません。

就職氷河期に安定した仕事を与えなければどうなるか? それは当然、彼らは恋愛をする事も結婚する事も、もちろん、子供を産む事もしない、いや、正確には「できない」世代となりました。

その世代に対する救済策は、現在でも、まともに行われているとは考えられません。

彼らの存在を無視し、「労働力人口が足りない」から外国人労働者を投入する、それは一体ど、れだけ国内で進行している問題を直視する事ができていないのか?と思ってしまいます。

「人材が足りない」から外国人労働者を導入する、それはまさしく行政と立法の任放棄以外に他ならない事です。

問題を直視しない者達

働く者達に当たり前のようにサービス残業を強制し、それを行政も立法も見て見ぬふりをしてきた、もしくは、今でも見て見ぬふりをしている。そのような状況が続く中で、一体何が外国人労働者の導入の検討なのでしょうか。

また、その一方の問題として、引きこもりと呼ばれる人々の問題もあります。

引きこもり現在、少なくとも20万人は存在すると言われています。

彼らこそが本当の労働力ではないでしょうか。彼らとて、いずれ将来的に両親が亡くなってしまった際には自分で生活せねばならないのですから、今から少しずつ働き、自分で生活を営む事ができる方向を探らねばなりません。

それと、現在の労働力人口不足は、お互いに協調し解決する事のできる問題ではないでしょうか。

責任者を追求し、罰せよ

そもそも、ブラック企業の放置や、少子高齢化の放置、就職氷河期の放置とは、立法と行政の不作為に他になりません。

では、なぜ彼らを法律的に追求しようとしないのでしょうか。

外国人労働者を導入するという、場当たり的な対策の前に、まず、なぜ、このような状況に社会が落ちぶれてしまったのか、を徹底的に追求し、責任者の処罰、処分を行う事が大前提ではないでしょうか。

無論、そこには時効の壁も存在するでしょう。しかし、それは時効云々の前に、道義的問題として、それらの問題は存在するのではないでしょうか。

その道義的問題を追求し、その結果として役人、政治家の退職金、年金の「自主」返納などをさせる事により、就職氷河期世代への救済策、また、引きこもりの人々に対する社会復帰への取り組みの資金とするなど、いくらでも手段はあるはずです。

責任を取るべき者が責任を取らずして、「財源がない」などと主張をする事を許してはなりません。

派遣やブラック企業を放置したまま移民の議論を行うな

そもそも、現在でさえブラック企業やサービス残業、使い捨て派遣労働を放置し、挙句の果ては、過労死推進法案こと、高度プロフェッショナル制度などを画策し、「いかにして働く者に賃金と安定を与えず、労働力を搾り取るか」に血眼になっている状態です。

それはすなわち、本来、仕事を与えるべき者に仕事を与えず、一方では仕事の負担が軽減されるべきのものが軽減されない。そのような状態で、一体、何を外国人労働者の導入などと言っているのでしょうか。

それは犯罪的もしくは、脱法的な手法を行う企業に対し、いわば泥棒に追い銭をやるような行為に他になりません。

また、現実問題として外国人労働者、外国人材が日本に来た場合、彼ら、彼女らは日本の労働環境全世界に発信し、ただでさえ国際社会の中でジリ貧とも言えるような日本の国際的な信頼性にトドメをさす事でしょう。

移民政策に反対しない「保守」は、政治を語るな

そもそも移民の導入の議論をしたがる者達は、自称「保守」主義の者達がそのような事を言っているのです。

「保守」とは自らの国家を守る、という事ではないでしょうか。

彼らにとっては、自分達の政治的基盤さえ守ることができれば、その国家の構成をする者がその国の国民でなくても構わないのでしょうか。

これは、ともすればナショナリズム的、レイシズム的な議論になりかねませんが、一体全体、国家が国民をまともな生活をさせる事もなく、そして、吸い上げた税金の再分配を行う事もなく、企業の労働力人口不足に海外の人の労働力に頼る。それが本当に「保守」の考え方なのでしょうか

それは、むしろ「労働者の平等の名のもとに国家と国境を否定する」左翼側の理論との類似に思えてなりません。

すなわち、現在の為政者達は自らの政治的基盤を維持するため、企業から受け取る政治献金に突き動かされた、政治的な思想すらも投げ捨てた、自らの権力と金銭の「保守」に取り憑かれた政治家達の醜悪な行動に見えてなりません。

また、それは「保守」という看板を投げ捨てた行動とも言えるでしょう。

なぜ、国民の生活が衰退してゆく自体で、社会を憂うことを行わないのか。そこに外国人労働者を導入しようとするのか。

また、それらの行動に対し、「保守」と呼ばれる者達が、なぜ怒らないのか、甚だ疑問に思えてなりません。

「保守」と言いながら、自国の国民の生活基盤さえも「保守」できないのであれば、政治家を即刻、辞する事を強く勧告します。

総論として

私はレイシストのような考え方での外国人の労働者の排斥を行う考え方には反対します。

しかし、「現在の国内問題を無視した状況下での、外国人労働者の導入」には絶対的に反対します。

外国人労働者の導入の議論の前に、行うべき議論と、責任を取らせるべき者たちが、多数存在するのですから。

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