まずは結論から
いわゆる左派においては、「愛国」という呼び名ではなくとも、「自らの属する社会を憂う」感情はあってしかりだと考えます。事実、それは私も保有するものです。
右派は「愛国」とわかりやすいフレーズを用いますが、左派は「自らの属する社会を憂うがために物言う」存在と考えます。
それが直情的でないものであるため、分かりづらさが有るのは確かな事かもしれませんが。
自らの所属する社会を憂う事は自然な感情である
自分の国の文化が素晴らしいと、声高に言う必要はなく、自分が育ってきた環境や、そこに、ある美しき山や川といった存在を素直に良い、と思えばよいのではないでしょうか。
それを別に他国と比べる必要などありません。
他国の国の山や自然には、また別の美しさがあります。美しさを競う必要などどこにもありません。それこそが本来の意味での国際的な文化の尊重です。
そもそも左派と共産主義は別物
このブログも左派的な言論を行っていますが、共産主義そのものについては絶対的に反対の立場です。結局、共産主義の行きつく先とは、「あさま山荘」でしかないのですから。
また、スターリンによる人類の悲劇とも言えるような粛清の嵐も共産主義の最悪の一例であることも言うまでもありません。
しかし、共産主義の誤りを認めた上で、人々の自由と個性を認める考え方が生まれたことも、また事実です。
それらの痛ましい歴史があったが故に個人の思想を尊重し、そして、社会システムを、より良い方向に向けていく考え方が成り立ちました。
もちろん、共産主義や社会主義を否定した上で、になりますが。そのような意味で言えばリベラル左派も愛国形ではなく、この国を憂う表現は十二分に成り立つのかも知れません。
私は自分を左翼とは認識していません。私はあくまでもリベラルであり、そして、リベラルの中での左派と考えています。
つまり、共産主義や社会主義を否定しつつ、個人の自由を最大限に尊重し、国家は社会における不平等を可能な限り減少させる方向で動いていく、その為に国家は存在している、との認識です。
さまざまな国家間における問題もある事は認め、可能な限り平和において平和の話し合いにおいて解決する。もちろん、話し合いの場に相手を引きずり出すためには然るべき裏付けも必要でしょう。
もちろん、あらゆる国際的紛争は対話によって解決されるべきですが、「すべての」人々が必ずしも対話のテーブルに付く、とは限らないのも、また、事実なのですから。
愛国を右派の専売特許にした事による悲劇
そもそも私は日本国内における問題は日本人が日本人が解決するべきであると思います。
とはいえ、この国は実質的に他国から侵略をされた事もありませんし、同じように民衆が自ら望んで体制が変わった経験もありません。つまり、「お上」に逆らわない、疑わない。
それらが戦後のいわゆる民主主義のバックボーン、すなわち、戦後民主主義者の根底に流れているのかも知れません。「アメリカ様によって教えていただいた民主主義」の根底に。
根底に流れている意識、すなわち、民衆が全く民衆の意思が反映されない、そのような政治の極限的状況として現在の状況に至っているのではないでしょうか。
そもそも現在の政治において、「保守」などと自称するのであれば、なぜ、現在にまともに生活をする事もできない就職氷河期の者達が多数いるにも関わらず、労働力不足、などと主張し、外国人労働者を導入するのでしょうか。
私は外国人について差別的感情はありません。しかし、低賃金を固定化させる外国人労働者を雇う企業や店舗については、疑念を持たざるを得ません。
つまり、私はリベラルと称していますが、広い意味では、この国を憂いていると自分では考えています。もちろん、それを穿った味方をすれば、左翼的な、いちゃもんをつけている、との見方もされかねないのでしょうけれど。
左派と労組の問題
左派と言えば労組ですが、そもそも労働組合は一体誰を守っているのか?
派遣労働者や期間従業員などといった事実上の身分制度の復活ような状態の現在において、労働組合が果たして弱き者達を守っているのか?
多くの場合、正社員の地位を汲々として守る事に躍起になっているように見えてなりません。
結局、左派の象徴的な存在としての労組が「正社員と自分たちの利権だけを必死に守る存在」であることも、公の欠落と言わざるを得ないのでしょう。
また、これについては公務員の「労働組合」も同じです。(正確には公務員には団結権はありませんが、それでも労組が存在する矛盾)
結局は正社員や公務員といった存在は、いかにして自分「だけ」は守ってゆくか、そして、おまけ程度のアピールのためだけに、弱き者達への配慮しているかのような振る舞いもしくは、ポーズをとる、そんな状況にあるでしょう。
左派が目に見える存在としての労組で「弱き者を見捨てる社会を憂わず、自分たちの権利だけを声高に主張する」ことは、左派に対する人々の失望感をもたらすのみでしょう。
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