左派、リベラル派への叱咤激励として
私は自分の事を左派もしくは、リベラルと考えています。
しかし、左派リベラルとはいえ、共産主義や社会主義は否定します。
最近の左派やリベラル派を見ていると、あまり元気がないような気がしてなりません。
本来、これだけ政治が「とんでもない」状態になっているのですから、国民が次の希望として左派、リベラルへの支持を拡大すべきが当然と思われるにも関わらずです。
そこに、左派、リベラルが自分達の都合のいい意見のみ伝えてきた、つまり、政権への批判を繰り返してきた、その言論の裏に、リベラルや左派にとって触れられたくない部分が多数あるがため、国民は左派やリベラルに対し疑念の目を向けている事があるのではないか、と考えてしまうのです。
そのため、今回はあえて左派やリベラルが、口に出さない事を書いて行こうと思っています。
別に私の場合、どこかの政党と仲良くしようと思う気持ちもありませんし、応援したければ勝手に応援します。別に、党派、さらには右派、左派の違いを超えて政策共闘しても良いとさえ、思っています。
結局、左派リベラルという枠組みにこだわるからこそ議論ができない事も多々あるのではないでしょうか。
公務員特権と正社員特権、なぜ、言わない?
今の公務員は特権な、言うまでもなく、あまりにも恵まれた労働環境です。
そして、公務員あるにもかかわらず労働組合が存在します。また、同様に大企業などにおいても労働組合が存在します。
それらの労組は多くの場合、国民民主党、立憲民主党、社民党、共産党などのリベラル、左派を支持していることが多いです。
ネットを見ると、公務員の高すぎる給与や民間と乖離した雇用状況について、あまりにも擁護の意見が多すぎますが、その原因の一つは、これらの「左派、リベラルによる公務員擁護(≒公務員労組の地位の死守)」が行われていることが原因です。
私はいかなる政党にも肩入れをしていないからこそ、公務員のおかしな状況を書くことが出来るのですが。
非正規差別をしてきた歴史を、認めよう
話を戻します。
つまり、現代の左派、リベラルについて、支持組織は大企業の正社員や公務員といったいわゆる「持てる側」、または、それに類する者が多々存在するのではないかと思ってしまうのです。
そして、彼らは利権を守るために、非正規雇用について積極的な行動を取ろうとしなかったのが事実でしょう。
それは、失われた20年と言われる就職氷河期の放置に左翼リベラル側も加担してきた事と同義語です。
現在就職氷河期の者たちは高齢世代に差し掛かかろうとしています。
彼らが本当に国民年金だけで過ごす事ができるのか、ヘタをすれば国民年金すら受け取ることのできない状況に陥っています。
そんな社会を作り上げてきたのは現在の為政者と、そして、労働組合などを擁するリベラル側も同等の責任を持つべきです。
「国防」問題は右派の特権ではない
余談となりますが、私は別にリベラルであったとしても、いわゆる国防問題について議論をして良いのではないかと深く思っています。いわゆる通常兵器に限った事ではなく、通常兵器ではない兵器の保有者についても、です。
何も、それらの「通常ではない兵器」を人間に対して使う、などと私は言うつもりはありません。たとえば宇宙人が侵略してきた場合通、常兵器で本当に効果があるか、甚だ疑問です。(こじつけですが、たとえ話として。)
余談としての「在日特権」とやらについて
ちなみに、「在日特権」とやらは、それは特定の国籍の者の背景に存在する団体の「声が大きかった」事は事実としてあるでしょう。
なぜ、
「日本人でさえ受けづらい生活保護を外国人の人々が受けているのか」
という問いについて、私から一言だけ書くならば、多くの場合、生活保護者は水際作戦などと称されるように
「公務員達が自分達の給料を減らしたくないがために、生活保護を受け取らせない行政不作為を意図的に行う」
傾向があります。
そのような対応をされた際に、法的範囲内で、合法的に「集団で」、複数人数で公務員に対応した場合、公務員者は意外とあっさりと生活保護などを通したりするものです。
なぜならば自分や、その生活保護課が「面倒な人々」と対峙する事を避けたい事が根底にあるからです。
それらに毅然として対応するのは行政の約目です。それが国家レベルであろうと、地方レベルであろうと。
また、リベラル側は本来、「生活保護を受けるべきものが受けることができるように」すべきであったにもかかわらず、それを行っていないのも事実です。
無論、為政者側の意向もあることは理解しますが、そこに生じている問題を論じないのは、問題を無いものにしようとする行為です。
理論と「人間の本質の直視」は右派にはない最大の強みだ
この記事は、「お前は右派のスパイか」、と言われそうなレベルの議論を書いています。
しかし、ベラル左派の強みとは、個人の人権を尊重し、そして、人間としていかにして生きるべきか考え方を言語化する、そして、社会と個人の関係を明確化しようとする場合、そこに唯一実行的に存在しうる議論の方法ではないでしょうか。
決して感情ではなく、社会のシステム者を分析し、より良い方向に向けて行こうとする、それが左派リベラルの究極の強みではないでしょうか。
精神だけで物事が変わるのであればバブル景気は永遠に続いたでしょう。先の対戦にも勝利したことでしょう。
これだけ社会が硬直化し、利権などが固定化された時代であるからこそ、左派、リベラルは自らの利権の構造をさらけ出し、そして、その上で人々に今後、この社会をどのように運営してゆくべきかを議論せねばらならない存在のはずです。
自らの利権を死守するがための団体としての隠れ蓑としての左派リベラルであるのであれば、その看板を今すぐ窓の外にでも投げ捨てるべきでしょう。
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