なぜ「ネット右翼」は、ここまではびこったのか
ネット右翼達の言論の根底にあるものとは、愛国という名で、「誰もが持つ」国籍に対し、プライドをくすぐるような議論ではないでしょうか。
それは理論性が少なくとも、自らの国籍が、さも価値があるかのような意味づけを与える事によって、自らのプライドをくすぐる事ができるでしょう。
しかし、それは現在の社会で現在進行形で生じている少子高齢化や労働人口力不足、また、就職氷河期世代の放置政策など社会の問題から目をそらしている事に他なりません。
「意図のある書き込み」に対抗する方法について
結局、ネット右翼の存在とは、多くの場合、結婚もせず子供も持てないような人々、もしくは、何らかの宗教団体に取り込まれ、宗教団体における専従活動家に近い存在としてネットに書き込んでいる者が多い、と言われます。つまり、プロネット家業とでもいいましょうか。
彼らからすれば、差別的な書き込みをする事によって、「日本を良くする事」ができる、と本当に信じているかも知れません。
もしくは、バイトとして、それらの言論を行っているのかも知れません。どちらにせよ彼らの後ろには、何らかの組織的な意図が働いている事は確実でしょう。
そして、「何らかの意図を持った」書き込みをスマホを常用する若者たちが、「社会の大勢的意見」として、差別的意図を含んだ思想に染められてゆくのです。
リベラル系の弱点としての言論の敷居
リベラル言論は「理論性」が必要とされれますが、それは簡単なものではありません。そこには理論があり、社会の成り立ちの理解が必要とされます。
だれかを「悪者」と決めつけ、ヘイトを投げかけ、自らの国籍を正当化するだけで成り立つネット右翼とは全く異なるものです。
そのため、よりわかりやすい議論を行う必要が左派には必要とされます。また、これは良くも悪くも、ですが、リベラル、左派側は右翼側に比べて言われる感情的な議論者が行いづらい事もあります。
とはいえ、私はこのブログで「リベラル」と主張していますが、本来のリベラルにとって公務員に対する給与値下げや、その身分を疑うような言論はできません。そのような意味では私はリベラルと名乗っていながら、極めて異端的な考え方と言えるのかも知れませんが。
左派、リベラル系は連帯を
なぜリベラル系または、左派系の言論がネット上で広まらないか、原因の一つとして左派組織は互いの連携が非常にしづらい現実があります。
かつて、内ゲバと呼ばれる悲惨な事例が存在しましたが、なぜ、そのような事が生じたのか、その原因とは、共産主義組織とは世界に一つしか存在してはならない考え方が根底にあります。
そのため、いわゆる過激な共産主義組織は、お互いの組織を罵り合い、そして、暴力事件へと進んでいったのです。
もちろん、言うまでもなく私は共産主義や社会主義そのものに全く賛同できませんが。
また、私は共産主義、社会主義そのものを強く否定しています。
個人的に自衛隊の存在は必要であると思っていますし、また、それについて賛成か反対かを明言する事は避けますが、核武装などについても議論そのものは完全には否定されるべきではない、と考えています。
ネット右翼に左派はどう対応するべきか
ネット右翼がここまではびこったのは、彼ら同士のリンク(連帯)による機械的な検索エンジンの評価による事が大きいのではないでしょうか。
ならばネット右翼とは、為政者達にとって都合のよい情報を、「大きな意図」のもと、工作を行っているのですから。そこには自分達の考えがなくとも、ひたすら左派敵を攻撃する事だけが目的となっているのですから。
とはいえ、同じように左派リベラルであったとしても、多少の思想の違いは超えて、リベラル、左派、という枠組みで連帯してもよいのではないでしょうか。
また、左派、リベラル側の集団に所属している者は、「あえて」「わざと」自分のブログの存在を、所属組織に伝える必要はないと考えます。 それによって、行動が制限されるのですから。それでは、所属組織の意思に沿った記述となってしまいます。
つまり、ブログとは、自分が誰とリンクするかを考えれば良いことです。個人の思想に団体や集団が関与すべきではありません。
つまり、リベラルや左派が、何らかの団体に属していたとしても、「あくまでも自分個人としての意見の表明」として、または、「あくまでも特定のテーマに対する賛同として」ブログのリンクを繰り返していけば、リベラルや左派の陣営であっても、かなり緩やかではあっても、リベラル、左派的言論のネットワークを作る事ができるのではないでしょうか。
つまり、意図的に緩やかに繋がり合えるために、「個人」という立場を利用するのです。
未来のための過去の精算、もしくは、「水に流す」思考
無論、そのためには枝葉末節の議論を「無視する」、高度な政治的判断が必要とされるかもしれません。
とはいえ、それにしたところで、あくまでも「個人としての意見」であれば、また、そのブログ自体の存在を自分の所属団体に明かさないのであれば、随分と敷居が低くなるのではないでしょうか。
そうする事によって「近しい思想」については連携し、その結果としての大きな「リベラル(左派)」の思想のリンクができれば、今のネット右翼に対抗しうると考えます。
ともかく「のけ者、村八分」を少なくすること、「ネット上での独立左派」を作らないことが必要でしょう。 たとえ、それがネット上「のみ」の連携であったとしても、左派やリベラルにとっては、ウェブ言論上での存在価値を増す、意味ある行動と言えます。
何かの社会問題を論じるときに、何もかもが同じ考えである必要はありません。
理論性が欠如し、差別的な言論で大きな声を出すネット右翼達が、左派、リベラル陣営に対し罵倒を投げかけている中であるからこそ、左派、リベラル陣営はどのような形であっても、共に手を取り合い、社会を憂う者の立場として連帯し、意見を表明していくべきであると私は考えます。
もちろん、このブログでも、心ある者からリンクの申し込みがあれば、それを無碍に断る事はありまません。
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