人生でジタバタする方法を考える、人生の良い時と、そうでない時への対応

By | 2018年4月5日

人生でジタバタする方法を考える

私は今でこそ、ちゃんと仕事をして、ご飯食をべていますが、これまでの人生は、かなりジタバタしてきた自信があります。

大きな声で言える事ではないかも知れませんが、今の会社に行き着くまでにXX社くらいは受験しています。

事実、あまり詳しいことは現時点の書きませんが、現時点でもかなり人生の転機と言えるような状況にあるかもしれません。

さて、人生でジタバタするには2つの方向性があるのではないでしょうか。それは、人生が上手くいっている時と、もう一つは、そうでない時への対応方法です。

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人生が上手く行っていない時に行うべきこと

人生が上手く行っていない時には、ありとあらゆる可能性をしらみつぶしに探っていく事ではないでしょうか。そうすることによって、何かが見えてくる可能性があります。

むしろ、ジタバタと可能性を探るからこそ、たとえそれが直接的ではなくとも、良い方向へのヒントを見つける事ができる、または、そのきっかけを得る事ができるのではないでしょうか。

もし最悪の事態に陥っていない、と考える事のできるだけの余裕があれば、「ジタバタ」する行動を通じて、そこから見えてくるヒントを自分なりに解釈し、より良い方向に向ける、そんな行動が良いのかもしれません。

ただ、本当に「どうしようもない時」には、それらの荷物を全て「放り出す」選択も大いにありだと思います。

人生、生きてさえいれば、、元気さえ戻れば、何でもできるのですから、自分の健康を犠牲にしてまで、それらが成し遂げる事項かどうかはよく考える必要があるでしょう。その最悪の結果が大企業における、過労による人の命すら犠牲にしてしまう現在の社会の悲劇に他ならないのですから。

そんな時の「休憩」として、私は読書をおすすめしたいと思います。まかり間違ってもビジネス系や自己啓発系の本は読むべきではありません。また、ブログも読むべきではありません。彼らは人材会社のアフィリエイトの収入のための転職や、自分の情報商材を売りつけるためのフリーランスへの無責任な「自立」などの意見を語っているのですから。

自分の好きな本を読めばいいと思います。それは自分の趣味でもいいしもしくは与太話など、あまり何も考えなくていいコンテンツが良いかもしれません。

もしくは本を読む気力すらない時は、全てを放り投げ、美味しいものを食べて寝ていればいいのです。

そうすれば元気が出てきます。

それでも、どうしようもない場合は心療内科に行けば、場合によっては診断書を出してくれるものです。診断書があれば、企業は大きな声を出せないのですから。

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人生が上手くいっている時のジタバタする方法

逆に、自分の人生がうまくいっている時には、それをさらに良い方向に向かわせるためにk、別の分野への進出、それは今までとは別の全く行動を起こす事、をしてもよいのではないでしょうか。

それらは決して最初からうまく行くことはないでしょうけれど、現状の生活がうまくいっているのであれば、それによって新しい物事への問題は、比較的容易にリカバリをする事ができます。

一番良くないのは、ジタバタする事を放棄する事、もしくは、自分の進むべき方向性を完全に見失ってしまう事はないでしょうか。

それらの試行錯誤は、若い時に「良い意味での無駄な時間」としての人生経験の積み重ね、また、自分の人生の失敗に対し、自分なりの回答を出せているかどうか、が重要な判断基準になるのかもしれません。

人生における判断基準とは言うまでもなく書物から得るべきです。決してネットから得るべき知識で自分の人生を決定するべきではありません。

今、ブロガー達がウェブ上でまるで自分が発言者気取りのであるかのように物知り顔で発言をしますが、しかし、ネットにおける発言とは、それは何らかの意図を持った発言に過ぎないものが多数あるのですから。

それを見分ける手間を考えれば、書籍を読み自分の頭で考える事の方がよほど効率的です。

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世の中信賞必罰であり、それに自分も応じなければならない

あまり社会で言われる事はない事ですが、自分が社会から受けた不利益に対しては、きちんと怒りの声をあげる、そして、それを法的範囲内で対処の方法をとる。

それが自分の人生を良くしていく方法ではないでしょうか。私はこのブログでブラック企業について、それが社会の根底的問題であると書き続けています。

自分が不幸にしてブラック企業に在籍してしまった場合、そこをすぐに辞職し、彼らに責任を取らせるべきです。その責任を取らせる行動、それは労基署への告発や、サービス残業代の奪還、それらの行動こそが自分の自信を作りゆくのではないでしょうか。

無論、そこではこの社会の不条理さや無責任さを大いに目の辺りにさせられることでしょう。しかし、それこそが、この社会のむき出しの本性なのですから、人生においてそれらを味わうことはプラスであると私は考えます。

世の中では必ずしも常に喧嘩をする必要はありませんが、必要な時には、たとえそれが不器用であったとしても、言うべきことは言う、そして自分がその中で最大限取りうる方法を取る。

「自分生き方を決めるのは自分である」、そんな自分へのプライドこそが生き方の最後の拠り所となるのかもしれません。

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