伝統的家庭、などというカビの生えた価値観ではなく、子どもを産みたいものは産み、結婚したい者はし、別れたいものは別れる、そんな自然な、人間として当然の選択が出来る社会を構築すべきではないでしょうか。
少子高齢化の最大の原因は若者の経済的困窮であることはもちろんですが、それに付け加えて、子育てについて狂気じみたコストが必要であることも関係しています。
一説には親の収入と子供の教育水準が比例するという調査さえ存在します。これは、まさしく貧困の再生産の裏返しともいえるデータです。
本来、子供を育てることは社会の責任です。税金を取ることにだけ行政や立法は懸命で、それを最も公平な形で還元する「教育」「子育て」は「自己責任」と吐き捨てる姿は三流国家そのものです。
ましてや、それがシングルマザーであれば、社会の不作為による貧困の再生産を行っていることにほかなりません。
票欲しさによる老人への重点的な税金投入をやめよ
将来性のない老人に金を投入するのであれば、勉学の意欲のある若者、母子家庭に投入すべきです。その費用は必ず近い将来、たった20年後には税金として、またそれは国の活力として、その後何十年にもわたって還元されることになるのですから。
もちろん、現時点での貧困の老人の問題はあります。しかし、それは痴呆老人の安楽的な最期であるとか、高額の年金所得老人からの課税、また相続税のより一層の厳格化などの然るべき「公平負担」を行い、その後に社会として対応すべき問題です。
国家百年の計、などといいますが、たった20年先の事も考えられず、目先の老人という票田を保守する政治家は、もはや政治家を辞めた方がいいでしょう。
老人たちに対し、聞こえのいいフレーズを政治家は連発連呼しますが、それは問題の先送りであり、そして数十年先の社会を、より悪化させるそんな行動をしているにすぎません。
子どもという宝を切り捨てる愚劣な社会
子どもは社会の宝です。彼ら、彼女らに社会的投資を行えば、必ずリターンが返って来ます。
それは必ずしも「社会に従順な」人物を作る、ということではなく、様々な教育の平等の機会を与えることにより、自らの意思で未来を切り開いてゆく、そのための補助を社会はすべきだ、ということです。
シングルマザーは恋愛も、仕事もして、公的な手当も堂々受け取ればいいと思います。少子高齢化はもはや抜き差しならない所まで来ているのだから、それを公的に支援するのは当然でしょう。
子供とはいかなる生まれであっても、社会がきちんと教育を施せば、それは社会にとって欠かすことのできない一人の人物として、彼らは必ず社会に対し貢献をしてくれます。
それは決して、現在の為政者の言う、国家主義的な人物、もしくは愛国主義的な人物ではなく、自分で考え、そして自分で行動をする、という人物を作れば、それは必ず社会にメリットとして還元されるでしょう。
極論から言ってしまえば、財源のためには、公務員の給料を半額にしてでも子どもに対する教育、もしくは出産については徹底的な保護政策を行うべきでしょう。
自分の地位の保全にのみ汲々とする公務員に給料をやっても貯めこむだけですが、しかるべく必要とされる子供にそれらの資金を投資することは、必ず社会に還元される、絶対的に社会にとって必要とされる行為なのですから。
愚劣な「保守」どもの寝言としての「家庭」論
そもそも論で子どもを家庭で育てる、という「正論」をがなりたてること自体が、「社会は教育に対する社会リソースを使いません」、もしくは「使いたくありません」、という意思表明の産物です。
人口が減っているのですから、いかなる手段であっても人口を維持してゆくには、古い伝統価値観を意図的に無視、打破してゆく必要があるのではないでしょうか。そのためには、シングルマザーに意図的にでも費用、リソースを割くべきです。
シングルマザーの皆さんは、胸はって補助金を受け取ればよいのです。胸を張って公的な補助を受け取ればいいのです。何一つ恥ずべき理由などありません。
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