長文の記事を書くためのコツまたは考え方 オリジナルの網羅的ではない長文化

By | 2018年2月13日

長文記事が読まれる理由について

正直、私はこのブログでお金を稼ぐ気は全く、無くそのためにはアクセス数など二の次三の次と考えているのですが、そろそろ500記事目を達成しようとしているので、ふと、自分のブログでどのような記事を読まれているのかを調べてみた。

そうすると、明らかに長文の記事の方が読まれている傾向が非常に強いようです。

これはSEO的に考えるならば、1000文字程度であれば似たような記事、特にその似たような記事を書いた者が、いわゆる「ブロガー」で、自分の収入ありきで書いている、もしくは、検索流入ありきで記事を大量生産しているようなサイトであり、自分の書いた記事の内容が類似、重複した場合、そちらのサイトにアクセスが流れてしまうため、長文の方が有利である、と考える事は可能でしょう。

このように、自分のサイトで何の記事が読まれているかを調べた場合、多くの「ブロガー」達は

「自分のブログで読まれているブログの記事はこんな記事です」

などとリスト化しようとするのでしょうけれど、私は基本的に、そのような自己顕示欲のような書き方をしたくありませんので、何の記事がよく読まれているかについてはここでは明示しません。

もっとも、たとえ明かしたところで、それはでは、かなりの社会批判の記事で、いわゆる一般のブロガー達には扱いづらい記事ばかりでしょうけれど。ましてや、実名顔出しのブログには絶対に書けない内容、と考えています。そのような記事を作成したところで、アクセス集めるよりも、自分に対する「社会的な主張」について「色」をつけて見られるリスクの方がはるかに大きいでしょう。

だからこそ、私は匿名で、「どこの誰か」を絶対に明かさずに書いているのですが。

そのため、私は積極的にブロガーとも関わろうと思いません。とはいえ、ありがたい事にTwitterでの私のツイートに反応していただけるブロガーもしくはツイッター利用者の人々も存在します。

彼らは、現状のブロガーに対して批判的な視点を持っている人が多いような気がします。そのような、「ブログについて批判的な」考えをもつ人々のTwitterを読むのは非常に楽しいです。

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長文化の方法と、自分の記事の考察

話題を戻します。

私は一定程度アクセスを集める自分の書いた長文の記事を読み直して考えたのですが、長文にする方法は、自分の書いた記事について、それを批判的に見た場合、その記事に対して考えうる批判に反論ために、記事分量を増やす事がもっとも生産的なのではないか、と考えます。

私は普段ブログを書く際には、実はあまり計画性もなく、自分の思った事を仕事の隙間時間で、部分部分で記述し、アップロード時に、それを繋げるような書き方をしています。

それは仕事の合間合間に書いていることが最大の原因としてあるのですが、ひたすら自分の思った事キーボード叩きつける、そんな書き方です。(※言うまでもなく、「待機時間」で、勤務時間ではありません。念のため)

そのため、理論がいきなり跳躍したり、もしくは、自分がわかっている事についての説明を省く書き方が多々あります。

出来上がった1000文字程度の文章を自分で批判的に見てみると、明らかにその事象について知らない人には説明が足りないであろう部分が多々あるのが現実です。

そのため、一般の人に向けて説明が足りない部分を埋めていくと、長文化ができるのではないでしょうか。

無論、「自分の言葉で」説明することが大前提ですが。

特に、社会問題系の場合は、ある事象が「自分はこのように捉える」場合、それはあくまでも自分の主観と、自分がバックボーンとして持っている経験と知識が組み合わさった結果としての、その主張の材料になります。

では、その主観のバックボーンにあるものは何かを結論の前に書いて行く作業が必要になります。

ところが、現状、私のブログの短文記事では、そのようなプロセスが極めて乏しいのです。それは自分がこのブログで好き勝手を書いている事の裏返しでもあるのですが。

また、それを悪いとも、あまり思っていないのも事実であったりするのですが。

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ブログの根本にある考え方と長文化の関係について

ブログなどは自分の好きなように書けばいいと思うのです、と、私はこのブログでは度々主張している通り、ブログは自分の主義主張を世の中に伝えるためのメディアです。

決してブログで稼ぐ事を第一に定義するような存在ではありませんし、ましてや、そのために自分の主張を曲げる事などは絶対にあってはならない事ですから。

この記事を書いている時点で、おおむね500記事弱、といったところでしょうか。

記事数だけを書くと、いわゆるブロブロガーなどが主張する、「そこそこの記事数」になるのかも知れませんが、収入的には全然です(苦笑)

そもそも最初から、私はこのブログを自分の収入源としては見ていませんし、他にきちんとした収入源があるので、自分のブログで好き勝手する事ができるのですが。

ある意味、他のブロガー達の書き方とは、全く違う角度から記事を書いている、と言えるかもしれません。

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自分の考えを世に伝えるための長文化と意義

SEOありきの長文のための長文化ではなく、「自分の書いた文章を客観的に批判的に見る」そして、その結果としての長文化、という流れであれば、全然アリ、ではないか、と考えます。

長文化する事自体が目的ではなく、自分の記事に対する批判的な見方とは、ある種のトレーニング的な文章の見方、と捉える事は出来ます。

そうする事によって、より深く一つの物事について、より深い考察をする事もメリットとしてあげられるでしょう。

別に、アクセスありきではありませんが、せっかく自分で記事を書くのであれば、その記事をいろいろな人に見てもらい、そして、それが社会的な議論として、ほんの少しでも結びついて行ければ、それはそれで楽しい事であると思っています。

 

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