長寿はめでたくない 無為無策の高齢化社会と長寿と幸せな人生のあり方

By | 2018年5月18日

高齢化の問題、なぜそれが問題にならないのか

長寿がめでたかったのは20世紀までです。

今後、日本社会では高齢者問題が深刻化していくことは明白ですし、現時点でも介護疲れによる自死、殺人などの痛ましい事件などが社会的な問題となっていますが、今後、更にその問題は社会を暗く覆うでしょう。

少子高齢化が進んでいますが、それは社会全体の老化に他なりません。しかも、彼ら高齢者の食い扶持の年金は現役世代が支払いをしているのであり、ある意味では我々、現役世代が彼ら、彼女らを養っていることに他なりません。

もちろん言うまでもなく、少子高齢化が進行した原因とは、2000年付近における製造業への派遣解禁などによって、働くものが徹底的に不安定な地位に叩き落とされ、その結果として、恋愛も結婚も子供を産むこともできない状況に若者が叩き落とされた結果、少子高齢化が進行し、生産人口の減少、そして社会の活力の低下という負のスパイラルが生じていることは言うまでもありません。

しかしそれは今回の議論と絡めて生きるにはあまりにも問題を大きくなりすぎるため、今回はその問題については略します。

そして、その高齢者を支えるために馬鹿高い健康保険料や年金を、ただでさえ不安定な若年世代が、わが身を削りつつ支払っているのです。

そのために、若者が子供を作ることができない、結婚できない、というのは本末転倒も甚だしいことです。

言うまでもなく、テレビ、雑誌などの「オールドメディア」は、高齢者がそれら媒体の主たる購買者であるため、構造的問題としての高齢者問題を取り上げません。

なぜなら、彼ら「オールドメディア」にとっては、スマホやSNSに若者を取られ、それに対する生き残り策をしていないので、高齢者は最後の顧客とも言えるからです。

また、読売新聞の渡邉恒雄氏を見るまでもなく、高齢者たちがこの社会の利権構造をガッチリと抑えている事実もあります。

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社会的リソースを食い潰す存在としての高齢者

高齢者世代に金を振り当てるよりは現役世代、特に家庭を持っていない世代、家庭を持つことができる世代に振り向ける方が社会全体の活性化になります。

ただ、それが現在のいびつな人口ピラミッドによって、高齢者の票田の力が大きく、左派、右派ともにその問題に取り組むことが出来ない現状があります。

高齢者こそが政党にとっての最大の支持者であり、それは共産党から自民党まで等しく保有している票の利権といえます。

一例としての痴呆高齢者について、彼らの人権尊重を訴える左派、一方、医療界、介護界を初めとする利権保護の右派の観点より、左右両派から現在の問題を見てみぬフリをされている現状です。

それらの「政治的配慮」のために無意味な痴呆高齢者の延命策が行われているのは事実でしょう。

無論、高齢者たちの生存権の問題もありますが、たとえば相続税の強化、資産に応じた年金給付額の削減など、「社会の一員としての応分の負担」を高齢者たちに求めるのは当然の政策なのではないでしょうか。

またさらに話を進め痴呆老人いやまた自らの意思で希望したものには安楽死を積極的に導入するなどの 具体的な年齢構造の改善策また医療費の負担の軽減などを考えにもならない時期に来ているでしょう。また、そこには当然、医師に対する報酬の引き下げも必要となるでしょう。

繰り返しますが、日本社会は数年以内に先進国としては異例とも言える、世界的にも例のない高齢者国家となります。

何歳になろうが、年金を受け取りつつも自立して働くのは、大いに結構な事です。それは、いずれは社会への消費という形での貢献となるですから。

しかし、現実的には痴呆症や寝たきり高齢者が多いにも関わらず、まったくそれらの議論がされていない、もしくは議論そのものが、あまりにも忌諱されている気がしてならなりません。

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安楽死という選択を社会保障に導入せよ

たとえば痴呆高齢者、彼らは生きていて何の喜びがあるのでしょう?介護?それはボケ高齢者の延命措置に過ぎないものに見えてまりません。

偽善者たちは介護をさも崇高な業務のように伝えますが、それは現代の姥捨て山に他なりません。しかも、その姥捨て山は我々の血税を湯水のように浪費する存在です。

痴呆高齢者や寝たきり高齢者に対して、安楽死の選択肢を社会保険制度への組み込みを行うべきではないでしょうか。それについて、左派は人権という見地から、右派は医療利権、介護利権の保守、という観点から、ヒステリックな反論が行われるであろうことは容易に予想されます。しかし、そんな綺麗事を言うのであれば、彼らが高齢者ホームで高齢者の相手をすればよいことです。

口先で綺麗事の議論をしている人には、今の社会を覆う重大な問題は見えないのでしょう。それは利権と特定の思想により滅ぼされる社会、と言わざるを得ません。

保育所の不足、保育士の低賃金問題に見るまでもなく、高齢者の方に血税が投入され、今後家庭を担うべき若者に然るべき予算が回ってきていません。

また、高齢者たちが浪費により作り上げた国債は最終的には若者に押し付けられます。将来性のない痴呆高齢者よりも少子化対策に予算を費やすべきです。

それは一時的な交付金ではなく、持続可能な、若者が子育てをしようとする、常識的な働き方ができる社会の構築です。

具体的には、高齢化する日本社会は高齢者たちに対して「延命治療至上主義」ではなく、「安らかな最期を提供する社会」を目指すべきではないでしょうか。

安楽死を直視できない理由はない

そもそもブラック企業などを、見て見ぬフリをし、過労死や過労自殺などが起こっても、見て見ぬをしてきた、そして、今でも行っているが、一体、痴呆老人の人権などと、わめきたててているのでしょうか?

一体どこの二枚舌でしょうか?

若者が過労死をして、それを見て見ぬフリをしている行政は、まず痴呆老人などの高齢者の 在り方について正面から取り組むべきではないでしょうか?

それができないのであれば、単なる卑怯者、薄汚い役人根性むき出しの行政に他なりません。

それは高齢者、現役世代、双方にとっての賢明な選択といえると思います。例えば、年金需給開始時に痴呆発症時について尊厳死の希望、延命治療の拒否などを選択できるような体制を確立すべきです。

また、それらへのインセンティブもしくはペナルティとして相続税の増減などもあって然りです。

なぜ、このような重大な問題を正面から話すことができる政治家が現れないのでしょうか。それは左派も右派も両派に共通して言えることですが。

それはこの国の文化的、思想的貧困を如実に表しているものに思えてなりません。

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