
ある若者たちの恋愛模様から考える
私の会社でバイトの学生が何人かいるのですが、そのもの達から聞いたお話です。
あるカップルの話ですが、そのカップルが女性の方が男性に対して男性の休日を監視し、男性の自由な行動を制限される、という状態らしいのですが、男性の方も最近は諦め気味のようです。
それは私から見れば、彼女は自分の精神的に独立をしていない、もしくは彼女は常に無いものねだりをしているように見えてしまいます。結局、どんなパートナーであれ、お互いに変化するものですし、そのような状況でうまく対処するためにも「自分」という存在があっての男女間のパートナー関係が良好に進展するものですから。
自己愛の裏返しとしての恋愛の要求
このカップルを見て思うのですが、もうそんなカップルは別れてはいかがですか?それが多分お互いにとって一番幸せな道ですよ。
つまり、自分のパートナーを自分の支配下に置く事をしないと、精神的に不安である事とは、それは自分に対して自信が持てない事にほかなりませんから。
そして自信が持てないからこそ、パートナーを監視し、束縛する。そして、自分の思い通りに彼氏が動かなければ、あらゆる手段を使ってパートナーを従わせようとする。
それは、かつてであれば、「わがまま」という言葉で片付けられれたのかもしれませんが、現在ではドメスティックバイオレンスという定義に含まれるようになりました。
承認欲求と束縛
自分の自信の裏付けのなさ、それは相手に自分を承認してもらいたい、もしくは常に肯定してもらいたい、そのような要求あるからこそはパートナーを束縛するのでしょう。
パートナーを見定める視点とその重要性
ちなみにその男性は男女共に20代前半の学生の話なのですが、現時点でさえそのような状況であれば、結婚すればさらに大変なことになるでしょう。
なぜならば、残念ながら20代前半には個人の価値観は全く定まっていないため、結婚という重大な決定をするには早すぎる時期なのではないでしょうか。
特に、現在のように日々刻々と社会状況が悪化し、また、それとは裏腹にウェブの進化が続いている時勢において、軽率にパートナーを決め、それを結婚という「法的裏付け」すなわち、権利の束縛を行うことは人生の破滅と直結するものと言えるでしょう。
この国の結婚制度は女性を保護している、その意味においては私は同意します。しかし、女性を「保護する」との意味の裏側にあるものは、社会、特に企業は女性をこれまで使い捨ての人材として使ってきたことに対する、その最終的な責任のツケを男性にすべてを押し付けようとする思惑があるのではないでしょうか。
その結果として、離婚する際には男性が子供に対し養育費を払いなどの不利益な扱いを受けることになっている、と私は考えます。
そもそも、「結婚しなければ満足に子育てができぬ」状態そのものがおかしいと思うのですが。
これだけ少子高齢化が叫ばれているにもかかわらず、子育ては「自己責任!」と吐き捨てる社会そのものがおかしな状況であり、その社会的影響の一つとして、それを感覚として感じ取った彼女たちは、彼氏の束縛という状況になりやすい社会的原因があるのだと考えます。
日本社会は現在でも自動車などの分野については、その政治庇護下にあるため世界でもトップクラスの技術を持っています。
しかし、その国内における人権、もしくは個人の権利意識、個人と社会との関係意識の意味においては、世界の三流国家のままではないでしょうか。
男女間の問題は、それは個人の問題だ、と言われるかもしれませんがしかしその社会の歪な状況が、末端の夫婦関係に影響を及ぼしているのではないでしょうか。
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