なぜ恋愛至上主義を社会は強制し、喧伝するのか、その根底的な思惑を考える

By | 2019年3月7日

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今の社会は恋愛、結婚至上主義と言える社会です。

クリスマスにカップルでなければ恥ずかしいと思わせ、そしてバレンタインデーだ、ホワイトデーだと金を使わせる行事にだけは必死になって強制し、喧伝を行っている社会に見えてなりません。

恋愛と結婚による「共助」の社会的期待

生活保護の場合、対象の女性が収入ある男性とお付き合いをしていると、生活保護がおりない、など事例があります。

それは「お互いに支え合って生きる」という名のもとに社会が本来行なうべき社会保障を行いません、と宣言してる事と等しいのではないでしょうか。

元々、自己責任という言葉が投げつけられるように、社会はいかにして社会の責任を個人になすり付けるかに必死になり、個人の生活について、そこで貧困があろうが、困窮があろうと、見て見ぬふりを行う思想がベースであるような気がします。

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恋愛と結婚による非生産的消費の期待

言うまでもなくカップルでどこか旅行に行ったり、イベントに行ったり、それらは消費行動の拡大を社会は願っているがために、カップルである事を強制する、もしくは、独り者は一人前ではないという価値観を垂れ流しているのでしょう。

また、それらは言うまでもなく、テレビやラジオのスポンサーのモノやサービスを売ってナンボという世界の価値観を強力に推進するためのプロパガンダに他ならないものです。

バレンタインデーだホワイトデーだクリスマスだと、いつから、そんな文化が入ってきたのかと不思議でなりません。

奇妙で珍妙な文化をありがたがり、それに乗らない者は、はまるで疎外されたとしても当然であるかのような、そんな空気を作る、それは今のブラック企業などを満たしているこの日本社会と根っこは同じに見えてなりません。

つまり商売をする者たちは、それらの目に見えざる同調圧力、つまり、「空気」を利用して消費を無条件に賛美しようとしているのです。

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恋愛と結婚による社会的拘束

結婚をしなければ一人前と認められない、そんなおかしな社会風潮は今も残っています。それは結婚し、嫁と子供がいる事によって企業は、より都合のよい働かせ方を強いる事ができる、そんな企業側の思惑が透けて見えることです。

また、それは妻や子供がいるからブラックな企業だったとしても、その従業員が辞めにくくなる、そんな非常に浅ましい思考が根底にはあるのでしょう

働き方改革だ、などと言われ労働時間の短縮などと聞きますが、それにしたところで、結局は持ち帰り残業が増えただけです、という話をよく聞きます。

結局、この国は先進国「ごっこ」をしたいがために、ご立派な法律を作り、そして現実的には、そこに生じている問題を見て見ぬふりをするのがこの国の姿です。

そして、そこに対する人質として家族や恋人が存在するのではないでしょうか。

そして、そのような状態にならなければ「恥ずかしい」と思わせるのです。

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恋愛の本質としての惰性の否定

正直、恋愛や結婚は「お互いが好きな間」だけ、その関係をやっていればいいと思うのです。お互いに好意がなくなり、ただ惰性で一緒にいるのであれば、それは人生の時間の浪費にすぎないのですから、別れて別のパートナーを探せば良い事です。

そんな当たり前のことが、今の日本社会では離婚について後ろ指を刺されるような風潮が蔓延しています。

また、その一方では、子育てについてあまりにも社会的に「自己責任」名の「社会的無責任」がまかり通っている社会があります。

本来、子どもは社会の宝です。彼らに教育投資する事により、たった20年後には納税者となり、社会の一因として社会を支えてくれるメンバーとなるにも関わらず、政治家共は目先の票田のために老人優遇策に走っています。

本来、痴呆症などの、現在の科学では回復の見込みのない老人たちに対して延命措置を行うのであれば、自費負担で行うことを法律に明示し、その分の予算を子育てなどに振り向けるべきではないでしょうか。

本来、子どもは、たとえ両親に金銭的余裕がなくとも、勉学に意欲のある若者、子どもは社会の負担によって大学まで卒業させるべきです。また、バカ高い給料を税金を元手に貪る公務員の給料を半減してでも、それを行うべきです。

また、今の日本社会では中学、高校、大学と、それらの間に働く期間がないストレートで進学することが当然のように思われていますが、高校と大学の間に数年間働く期間があってもいいと思いますし、むしろ、その方が金銭的にも、また社会の見識を深める意味ても非常に良いことではないでしょうか。

日本社会は、企業の横暴がまかり通り、それを家庭の責任に転嫁し、そして家庭は少子化で最も弱い者に責任を転嫁させようとしています。そんな社会を見過ごすべきではありません。

それらの社会的な弱者への責任転嫁の社会的風潮の末端、もしくはその土台として存在する恋愛至上主義の愚行を見抜き、あるべき社会の未来を真剣に考えねば、この国の将来はありません。

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