「愛国者」の勘違い、もしかして社会は自分の味方だと思ってませんか?

By | 2017年2月12日
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保守は何を保守しているのか

愛国者と自称している人、もしくは保守などと言っている人を見ていると、一体この国に何を愛し、何を保とうとしているのか甚だ疑問に思う事があります。

健康を害するレベルのサービス残業、学校ではイジメがはびこり、そして公務員は縁故採用で威張り散らし、挙句の果てには生活保護を水際作成、いったい、こんな国のどこを愛して、どこを保って行こうと思っているのでしょうか。

保守派、愛国派などという人は、自分が誰からも愛されたことがない人なのではないか、とさえ邪推をしてしまいそうになります。

つまり、誰からも愛されたことがないからこそ、自分が所属する日本という国家に対し、擬似恋愛しているようにも見えます。それで例えば AKB に群がる AKB のファン達の心理的とも似たようなものなのかも知れません。

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擬似恋愛としての愛国

自分はこんなに国を愛してるんだぞ、と言いつつ、その裏には現実生活では満たされないで自らの精神を満たすために国家という、「いかようにでも捉えうる存在」への疑似恋愛をしているのではないかと考えてしまいます。

つまり、自分が愛する対象としての「国家」ですね。それがゆえに、「日本の事を悪く言う」者への憎悪を掻き立てるのでしょう。

ただ、そのような精神に対して私は著しい疑問を感じざるを得ません。

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愛しても愛されない

結局、国だけではなく社会、企業でも言えることのですが、自分がどんなに日本や日本社会、そして自分の所属する企業を愛したところで、それらは愛する者への見返りとして、彼らを絶対に愛そうとはしないでしょう。

そのような人々は日本社会や日本もしくは企業の駒となり、健康を害すまで使い倒される事でしょう。

平等に互いを愛する、という関係性を知らないからこそ、そのような 不平等な関係をやすやすと受け入れるのではないか、と思わざるを得ません。

本来、愛するという行為は相手を尊重し、しかし、指摘すべき部分は厳然と指摘することではないでしょうか。たとえ、それで喧嘩になったとしてもです。

政治家で、自称「保守」などと言ってる者達は、もう半分、現役を退いていてもおかしくないような人達です。

そんな人達が、「愛国」と主張するのであれば、年金を受け取らず、国家の財政に寄与すればよいのです。 それが一番の愛国です。もちろん、彼らは議員年金という、あまりにも厚遇された年金を「愛国」と言いながら受け取っているのですが。

あと、ネトウヨ系のサイトであるとか、アクセス欲しさの保守系まとめサイトとか、そんなを見て喜んでいる人々は、戦争が起こったら真っ先に前線に行ってみてはいかがですか?、と本気で思ってしまいます。

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愛国という自己満足

国を愛する主張する者たちの、当の本人たちは幸せなのでしょうけれど、それは部外者として聞いている方としては、奇妙な感覚を受けとらざるを得ません。

「国を愛する」と言うのであれば、まず社会で問題になっているサービス残業や過労問題にきちんと取り組みませんか?

例えば恋愛では「アバタもえくぼ」などといいますが、それ以前に、愛国者は、現在の問題だらけのこの国を正そうとすることこそ、ほんとうの意味での「愛国」だと思うのですが。無条件に肯定することは、「愛国」でも何でも無く、この国の劣化を傍観という名のもとに促進している、とさえ見えてしまいます。

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