管理教育と日本社会 管理教育は日本産業の惨状の一因である理由

By | 2016年12月3日
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管理主義と集団教育

管理教育という言葉がありますが、これは生徒の自主性を徹底的に抹殺し、そして学生を全て学校の決めた規則に従わせる、まるで焼き型にはめてタイ焼きをつくるかのような、そんな愚劣な教育のことを管理教育と言います。

それは集団主義を徹底的に植え付ける行為、軍隊的行為そのものです。

しかし、悲しいかな、今の社会では管理教育は改善されるどころか、形を変えて延々と社会に蔓延っています。

愛知県の管理教育とトヨタ

管理教育が一番有名な県は、愛知県であり、それは、ほぼ生徒の人権抑圧と言って良いレベルで行われています。

愛知県と言うと一番有名な企業はトヨタではないでしょうか。また、その下請けの工場なども多々あります。

では、なぜ愛知県で管理教育を苛烈に行うのか、それは以下のように考えることができます。

トヨタなどの自動車製造ライン工、もしくはそれらの下請けの工場で使う際に、使いやすい生徒、人材を作る、それが管理教育の根本です。

学校で理不尽な行動、振る舞いに有無を言わせずに強制すること、それは社会に出た際の「優秀なライン工」を作るための行為である、と考えると、なぜ今の学校教育が管理教育を押し付け、生徒に考えさせることを極力避けているのか、理解しやすいのではないでしょうか。

また、国際的にも日本の学校教育は「考える力が足りない」と指摘されていますが、それはこのようなライン工を作るための教育の結果にほかなりません。生徒に考えられては困るのですから。労働環境の理不尽さ、軍隊的な組織、それらへの疑問を持たれては困るのですから。

18歳選挙制度が始まりましたが、管理教育下の選挙制度って、どんなブラックジョークなのでしょうか? 「先進国ゴッコ」ここに極まれり、といった感じですね。

また、今の日本は、地方に行けば行くほど管理教育がひどくなります。これについては地方独自のボス猿根性や事なかれ主義の教育委員会の責任が大でしょう。

愛知などで、まだトヨタ、もしくはその下請けなどの工場がある場合、確かに自分で何も考える必要もなくロボットのように1日中ずっと同じ動作繰り返す人材を作る目的であれば管理教育が産業界にとっては良いのかもしれません。しかし、管理教育は日本社会に凄まじい暗雲をもたらしています。

管理教育の失敗は明らかだ

失われた20年としてドン底の景気になり、日本発の新しい産業も全く生まれていない。これは、まさしく管理教育の責任といえるでしょう。

つまり、管理教育という名の元に、国家、それに盲従する教師が考える「理想の学生もしくは理想の生徒」を作ることによって、国が思い描く「あるべき人材」を作った結果、それが全く役に立ってないということです。

そもそも、景気をドン底にした役人や政治家どもが思い描く「優秀な人材」という時点で、おかしなことです。彼らの理想像自体が時代錯誤そのものです。おかしな理想を持ったものが「理想の働く者」を作る為の管理教育を行う、これでうまく社会が回るワケがありません。

管理教育とは、現在の現在の為政者にとっては非常に都合のよい制度なのかもしれません。何でもかんでも、ハイハイと答え、言われたことに何も疑問を抱かずに、反論も自分も意見も言わずに、それを行うのですから。

それは、ブラック企業にうってつけの人材です。ある意味では、サービス残業が撲滅されない原因も、それら管理教育による「考えることを放棄させる教育」「上の者には絶対服従」の教育が一因と言えるでしょう。

管理教育の明らかな失敗例は目の前にある

私がこの原稿を書いているのはwindowsマシンですが、では今、小中高生がおそらく、だいたい持っているであろうと思われるスマートフォン、これらのスマートフォンを製造しているのは多くは中国ですし、そこで動いているOSはiOSやAndroidOSなどのアメリカ製です。

それは言うまでもなく、パソコンでも全く同じことです。Windowsしかり、OSXしかり、です。

一昔前、日本は家電大国と言われました。例えば、テレビ、ビデオデッキ、冷蔵庫、洗濯機、通常の家庭で使う電化製品は、それら全てが国内で作られていました。今となっては信じがたいことかもしれませんが。

また、sonyのウォークマンはその革新性により世界の音楽シーンを変えたとさえ言われています。

しかし、今、手元にあるスマートフォンやパソコン、そして家電の製造国はどうでしょう? おそらくは中国、インドネシア、ベトナムなどで製造されたものでしょう。

つまり日本は、工場でモノ言わず働くための都合のよいイエスマンを管理教育で育てている間に、世界から取り残されてしまいました。

無論、そこには法的規制や特許制度の違い、そして国民の考え方の違い、また各国の経済成長、という原因も、もちろんあります。

しかし、現時点で、学生が大学を卒業した際に就職したい業種が、安定した企業、あるいは公務員や大企業、インフラ系企業とされる時点で、もはや社会はお先真っ暗と言わざるを得ません。

まさに個性を圧殺する管理教育の「負」の集大成とも言えるでしょう。

管理教育は止まらない

いまだマスコミは、受験競争をして、良い学校に行けば、いい人生を送れる、そんな幻想を垂れ流します。しかし、もしその幻想が正しいのであれば、日本はかつてのまま、家電トップ生産国で、パソコンのOSもスマホのOSも当然日本製でなければならないはずです。

家の中の家電は全て日本製、それが「製造大国」というものです。しかし、そのような状況ではありません。

今すぐ、管理教育という誤った人材をつくる方法を改める時期が来ているのです。それにもかかわらずそれができない。なぜならば、教師、教育委員会、そして監督官庁ともに、誰も管理教育の失敗を認める事も、改める事もできないからです。そんなことをすれば「公務員として失格」なのですから。公務員こそイエスマンの見本、そして「優秀な管理教育の率先者」なのですから。

欺瞞としての教育改革

教育改革だと為政者は言いますが、教育改革と言われている英語能力もしくは自分で考える力、などといいますが、それは結局のところ塾通いであったり、受験勉強とは別の民間英語試験の勉強であったり、それは裏返せば単に経済的格差を肯定する事に過ぎません。

教育といいますが、つまりは日本は何も変われないし、そして硬直化した体制のまま、日本の経済システムは崩壊しているのです。

むしろ、為政者からすれば、教育改革という名でさらに今の自分たちの地位を固め、経済的格差の固定を行い、豊かなものはさらに豊かに、貧しい者は果てなきドン底の貧しさに叩き落とすことを合法化する社会にしようとしているのが本音でしょう。

今一度、教育のあり方、特に「管理教育」について考えませんか? ジリ貧の社会を立て直すのは「人材」しかありません。その人材を作る教育がお寒い状況では、将来への展望など一ミリたりとも存在しないでしょう。

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