
転職に見る人材不足の実態
実は先日、私自信は全く転職について意思はないのですが、様々なしがらみから、ある企業の採用面接を受けてきました。
その面接で感じたことは、今の私の給料は非常に低すぎです。また、拘束時間も非常に長すぎです。そこで提示された給料は「かなりの」の金額であったのですが、(もちろん具体的な数字は避けます)私は即刻にお断りをしました。
なぜならば、その企業はあまりにも物理的な拘束時間が長すぎる事が原因です。
結局、何かのメリットがあるからその企業に属している
私は自分の通っている会社をホワイト会社などと主張するつもりは全くつもりはありません。拘束時間は長い、その割には給料が低い、人使いも荒い(苦笑)。
では、なぜ私がそのような会社に勤めているのか?
それは私が個人の裁量で、好き勝手に勤務を行える点が最大の理由です。細かく書くと、どのような分野であるかが判明してしまうため、このブログの中で自分の仕事については、ボカして書いていますが、「かなり」好き勝手に勤務している、そんな感じで働いています。
現実的に、そのような働き方でなければ、ブログを毎日更新する事などは無理ですから。
今、世の中の企業は人材不足で「いい人材」が企業に来ないなどと聞きます。それが実際問題として、私の身の回り、この東北の地域においてですら、生じているのです。
それはおそらく東京圏などにおいては、さらに深刻な状態として生じているのでしょう。
無論、私はこのブログを社員の信頼のできる、ほんの数人にしか教えていません。そのために散々、好き勝手書けるのですが。
都合のいい人材不足が生じているに過ぎない
正直、今の社会とは、人手不足に陥っているにも関わらず、未だに企業中心主義がまかり通り、正社員であれば何をさせてもいい、そんな誤った経営方針を、いかにして延命させるに汲々としているのではないか、と思わざるを得ません。
なぜ、少子高齢化が生じたのか? もちろん、その第一の原因には失われた世代への救済策を行わず、その結果として、その世代が子供を産まなかった事による労働人口の減少問題があります。
しかし、第二の問題として、会社員として雇われれば、個人の自由があまりにも圧迫される、そんな後進国のようなマインドが当たり前として行われてきた日本社会、そして、人材不足にもかかわらず、未だにそれを延命しようとする企業は、企業が変化できない体質をよく表しているのではないでしょうか。
私は他者との関わりを基本的には避けたいと思う生き方をしてきました。また、今後もそのような生き方しか、行う事はできないでしょう。
そのような意味において、今の会社は拘束時間も長いし、給料も安いですが、その代わりに自分の好き勝手に勤務しているのも事実です。ともかく自分の責任さえ果たせば、何も言われませんし、言わせません。
私の勤務形態とは、通常の企業から見れば私は不良社員も不良社員でしょう。しかし、自分の仕事の責任を果たしているために、それを見て見ぬふりをしてもらっている、その企業の体制について非常にありがたいと思っています。
企業にとって都合のよい人災の不足
今後、社会の言う人手不足とは、それは個人が無条件に企業に貢献する事を期待する、そんな、企業にとって都合のいい人材の不足にすぎません。
現在、就職状況において,最も大変な目にあっているのが、「就職氷河期」世代の方ではないでしょうか。しかし、これだけ不況のどん底に叩き落とされた事により、彼ら,彼女らは多様な生き方に気づいていることも確かでしょう。
その結果として、いわゆるドロップアウトと社会は称するのかも知れませんが、企業で働く時間よりも自分の時間を優先する、そんな人々が大量に今の社会に生じてるのではないでしょうか。無論、年代こそ違えど、そのうちの1名は私です。
今後、企業が本当に良い人材を集めようと思うのであれば、働く時間と、その個人の考え方の尊重、それを行わなければ絶対に「優秀な人材」など取れる事はないでしょう。
正社員であれば何十時間拘束しても構わない、労基法は無視する、そんな考え方は今すぐ改めるべきでしょう。
「人手不足」とは、質素な生活と孤独に慣れた人にとっては、金銭的な部分さえ折り合いがつけば、随分と生きやすい社会になる、もしくは、生きやすくなる為のる選択を行う事が可能になりうる社会となりつつある、のではないでしょうか。
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毎日こんな長文が書けるなんて。