結婚契約書という、がんじがらめの制度、もしくは、結婚制度の利用

By | 2017年9月1日
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結婚と契約

私が勤めている会社で新しく結婚される方がいるのですが、その方たちは、結婚についてカップルの間で結婚についての契約書を作ろう、などとも盛り上がっていました。

それらは私から言わせると、そこまでして結婚したいのでしょうか?と本気で思ってしまうのです。

結婚についての契約書であれば覚書を双方が署名捺印し、2通ずつ作れば、一定程度の法的な意味付けはありますし、より法的に拘束力を強めたいのであれば、公正証書などのような法的手段を使う事も可能です。

ただ、そこまでして契約の形を取るのであればそれは、もはや、その後の結婚者がうまく行ゆかないことを事を示唆しているように思えてなりません。そんなにお互いが信用できないのか、と。

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結婚による社会的信用のメリットの利用

むしろ結婚とは、あくまでも法的な枠組みであって、今の日本社会においては、結婚している事によって社会での信用を得る事ができる事実は絶対にあります。そのため「社会的メリットを共有するため」の仮面夫婦でも全然良いのではないかと思うのです。

結婚制度を逆手に利用し、結婚制度より個人にとって都合のいい使い方も肯定されるべきなのでは、と私は考えてしまいます。無論、お互いに一定の愛情があることが大前提ですが。

そもそも結婚していなければ信頼されない社会自体が、不幸の押し付け合いの社会に他ならないように見えてなりません。

内縁の妻、内縁の夫であった場合、法的に問題となるのは財産分与における法的根拠が無い事ですが、その場合、生きている間に互いの資産の名義配分をする事によって、そのデメリットを最小化する方法もあるでしょう。

もしくは、書類上結婚し、お互いがハンコを押印した離婚届を持つ、という生き方もあるでしょう。もし、お互いの愛情が乖離すれば、すぐに別れてしまえば良いと思うのです。

それを子供がいるから別れる事ができない、との反論が出るでしょうけれど、本来、子供は社会が育てるべき存在です。子供がいるから結婚ができない事とは、社会によって個人の権利が抑圧されているように見えてしまうのです。

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男女関係の価値観の誤りと、やり直し

残念ながら男女間の関係は年を重ねるごとに確実に変わっていきます。

私が大学に入っていた頃はお付き合いをしていた方とは、最終的には「人間関係を徹底的に破壊する」レベルの泥沼にまで至ったのですが、今になって考えてみると、

「そんなパートナーは、こちらからお断り」

と本気で思っています。

価値観者とは、若かりし頃には勢いや、体験不足、理想主義などによって「アバタもえくぼ」と見えてしまいます。

つまり、若かりし頃の結婚とは男女互いにパートナーに要求する価値が自分ですら理解できていない状態での選択が多々なのでしょう。

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結婚しやすく、離婚しやすい社会へ

私はより離婚をしやすく、より結婚をしやすい社会となるべきであると考えています。現在の離婚が行いにくい原因とは、シングルマザーを見るまでもなく、女性の社会での自立が困難であり、その社会の矛盾を家庭に押し付けた結果です。

結婚が安定であるかの様に思い込み、それを信じ、それを男性に押し付けようとする女性がいた場合、その考え方そのものが、不幸に向かっている考え方の根本であるような気がします。

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