人生は逃げるに限るのかもしれない 戦わず、のらりくらりと

By | 2022年4月30日


新入社員は3年間頑張れ、なる言葉を聞きますが、それはブラック企業を無為無策で放置している現在の為政者や行政にとっては、極めて都合のよいマインドコントロール的な思想であると言わざるを得ません。

事実、サービス産業の時効は、これまで上限2年でしたから、まともにブラック企業で働いた場合1年分の違法な不払い賃金を請求できなかった、ということになります。

(※2020年4月から3年に延長)

持てる側にとって都合の良い社会システム

現実的に、この社会では連綿と持てる者にとって都合の良いシステムがつくられています。

そのような中で、真面目にそれらと正面から向き合って対処するよりは、逃げるという行為を行うことの方が、よほど生産的で、自分の人生の限られた時間を有効に使えるのではないのか、と思ってしまいます。

私も少なからぬ数の転職を行っています。それはブラック企業と呼ばれるような所で働くことで人生を浪費するような生活は行いたくない、という考え方が人生のベースにあるためです。

結局、逃げることは決して恥ではありません。むしろ、逃げることのできない状況に自らを追い込んでしまうことの方が問題ではないでしょうか。それは就職、学校然りです。

今後の劣化する社会において、自分の居場所を得ることができるのは、幸せな事かもしれません。

自分の生活レベルとは、それで幸せならば、無理のない就労環境において得られる賃金で生活を構築していくということをを考えるべき時代となっているのかもしれません。

幸いなことに、この国では「低賃金の労働であれば」比較的に職場を選ぶことが可能です。

そのため自分の生活スタイル自体を不条理な状況が現れた場合、その間に逃げるという選択肢を常に外さないで保有していることは、人生を本当の意味で豊かにするものかもしれません。

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現実的な対応方法として

またそのような意味では今までのような新築の家を買い、子供をいい学校に入れて大学に行かせる、というこれまでの社会システム全体を問い直すべき時期に来ているとも言えるでしょう。

家は中古の家で十分ですし、また学校も親がお金を出すのは高校までで良いかもしれません。

実際にストレートに大学に進学するよりも、一度、一般社会に出た方が大学のありがたみというものがよく分かるはずですから。

ちなみに低額所得者の子供は、大学の進学の際に授業料の助成などが作られると言われていますが、非常に利用の制限が多いと政策と言われています。

むしろ、それどころか政権側の者たちが、自分が教授や講師としての天下りポジションとしての大学を延命させるための方法でさえあるのではないか、と勘ぐってしまいたくなります。

特に就職という点においては、未だにブラック企業に対してまともな厳罰も与えられることなく、のうのうとブラック企業の経営者が存在し得る状況なのですから。

それでも尚それらの生き方を肯定するためにマスコミは理想の生活を垂れ流します。

そして若者向けメディアが理想の結婚を垂れ流します。

また記憶に新しいところとしてはトヨタの会長が終身雇用は無理である、などと発言をしています

終身雇用が無理であるというのであれば、では、なぜ若者は安い賃金でこき使われるのか。という問題に直面せざるを得ません。

まずは年功序列賃金という企業にとって都合のよい制度を維持したまま、終身雇用が無理どということは、それは無責任極まりない意見であると言わざるを得ません。

ましてやそれが日本を代表する自動車メーカーのトヨタの会長が言ったのですからよりその罪は大きいと言えるでしょう。

最近に学校のPTAの強制参加の問題があると言われています。これもこれまでは主婦は専業主婦が比較的活動が多かったため、成り立ってきたのでしょうけれど、もう社会の劣化により「男女とも共働きをしなければ家庭を支えていくことができない」、または子供を塾に入れ、そして学歴競争を勝ち抜かなければ、いわゆるところの良い会社に入ることができない、そのために教育費を夫婦共に捻出せざるを得ないという状況があります。

しかし、結局そのようにして入った学校でも、いじめなどが存在し多くの場合、学校と教員はいじめを見て見ぬふりをし、それどころか挙句の果てにはいじめで自殺などが出れば隠蔽をしようとする。

そのような事なかれ主義、もしくは自分の業績に傷をつけたくない、保身と公務員根性丸出しの教員たちがいま世界には溢れているのです。

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劣化する社会を前提として生きる

今後、衰退し劣化する世界において、人生の様々な困難に対し逃げるという、最も合理的な手段を選択するためには、これまでのような安定した人生という考え方を捨て去り、よりフレキシブルに意味がある生き方を選択するべき時が来ているのかもしれません。

また、それは自分一人の考え方だけではなく、夫婦そして子供ともにこの社会の衰退をしっかりと認識し、お互いが助け会える部分は助け合っていく、そしてお互いの相互理解を進めていく、そのような社会と対峙するという意味が、個人と家庭に求められているのかもしれません。

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