2017年1月5日追記
デコラティブに飾り立てた箱バンを乗り回す層を「マイルドヤンキー」というそうで。それは日本の経済的衰退の象徴にすぎないと思うのですが。
マイルドヤンキーという新たな「価値」の意味付け
まともな雇用がなくなったので、残った3K労働に就業する層にネーミングして肯定的に伝える、為政者のいつもの手段ですね。
「日本は貧しくない!アフリカに比べれば裕福だ!」という詭弁は愚かな為政者が常に使いたがる方法です。それらの具遺体的としての素材がマイルドヤンキーではないでしょうか。
3K労働、下働きだけが残った
つまりの所、マイルドヤンキーというのは3Kなどの肉体労働者のとイコールで重なります。
例えばスマホでスマホゲームやパチンコや、「できちゃった婚」をするような、知性よりも本能を優先させるような人々が喜々として、もしくは「それしかできない」からする仕事、それらがマイルドヤンキーの仕事です。
彼ら同士が自分たちを肯定的に見て、そこで狭い「社会」を作って自己満足してるようにしか見えません。
何時の時代にも一定層存在した存在
マイルドヤンキーなど常にいつの時代にも存在したわけです。それは社会において、大きく取り上げられることもなく、社会の影にひっそりと存在したわけですし、無論、それらの職業がなければ社会は回らない。しかし、だからといって、日向に出すような存在なのでしょうか?
私もそれらの層との一定程度の関わりがありましたが、彼らは車には異常なまでの関心を抱くのですよね。ホイールがどうした、エアロがどうした、と。
そんなこと車の走行性能には全く関係ないですし、そもそも、新車を買う前に親の家にパラサイトしている状態をなんとかしたらいかがですか?と言いたくなるような人々が多数でした。そして、彼らはそれを「親孝行」や「イナカのシガラミ」といった言葉で言い換えるのですが。
それは決して「言い換え」ではなく、本心からそう信じているのでしょうけれど。
彼らを持ち上げるのは社会の劣化の象徴
マイルドヤンキーは親元で3k仕事を数年続けることによって、ローンを組む機会を得て、喜々として新車を買うのです。
テレビなどは言うまでもなく、自動車会社はスポンサーとして大きな発言力を握っています。それらの会社にとって、社会風紀がどうであれ、モラルがどうであれ、彼らがパラサイトであれ、「自社の車を買う者が正義」となるのですから、残ったマイルドヤンキーという層をテレビ局は自動車会社のスポンサーに色目を使って、肯定的に伝えているのでしょう。
つまりマイルドヤンキーとは、劣化した社会のスポンサー様のご要望をプロパガンダとして垂れ流しているに過ぎません。
今後の社会は混乱の時代に入るでしょう。そのような時代は、知性を持ってしか生き残れないのですから、大学などの高等学府を出たにも関わらず、ブラック企業やフリーターを強いられるような、絶望的な人材リソースの浪費を本来はまず真っ先に論ずるべきではないでしょうか?
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