
日本においては、言うまでもなく人口減少が起こり、労働人口の減少が起こっています。
これは派遣労働者の増加などの政治の誤りの結果として、この様な状態になっているのですが、それは政治家を選ぶ根本として日本人の精神的な貧困が存在するのではないかと、私は考えざるを得ません。
なぜ日本ではサービス残業が放置されているのか
サービス残業の原因として、「周囲の空気を読む」など集団主義的な感情も考えることもできますが、しかし、それは言い換えるならば、自分で何も考えることができない、とも言いかえることができます。
考えることができない、それは精神の貧困の、ある側面として十二分に説明しうる事象ですし、また本来、それらのサービス残業を取り締まるべき労働基準監督署などが機能していない状況も、国民の主権者意識の不足そものものです。
それらは、自称「先進国」のこの国における精神の貧しさそのものではないかと考えざるを得ません。
自分さえ良ければ後はどうでもいい日本
日本における生活保護の事例を見ればよくわかりますが、生活保護を受給する行為は、本来、憲法に保障された生存権の行使たる手段に過ぎません。
しかし、生活保護を受給するものが、あたかも悪であるかの様にインターネット上では伝えられ、「自助努力」などの言葉を振りまく者が多数存在します。
しかし、大上段から「正論」を唱える彼らは、自分の納税した税金が役人や政治家によって食い物にされ、千兆円もの借金を抱えている事実から目をそらし、弱いものを叩こうとする。それはまさに、日本人のエゴイズム、弱者へのいたわりの不足、精神の貧困そのものと言えるのではないでしょうか。
ブログの傾向としての金銭崇拝主義と社会問題
アフィリエイト広告収入などで小銭を稼ごうとするブロガーと呼ばれるものたちがあります。
彼らは表立っては弱者を叩こうとする傾向は少ないように見えます。しかし、それでもも現在のサービス残業などの社会問題を正面から使おうとはしません。
その代わり彼らはサービス残業の解決策として、弁護士の紹介のアフィリエイトを貼り付け、人の不幸を自分の小銭に変えようとするような言論を行っています。
自分の発言力を利用し、それを小銭を稼ぐことにしか考えれないものがインターネットで発言者気取りをしている時点で、この国のお粗末さが、よく見えます。
また彼らにフォロワーが多数いますが、そのフォロワーも、もそのような言論の不自然さに気づかない、もしくはそれを意図的に無視する時点で、この社会の言論の低レベルさを良く知ることができます。
政治とブロガーの奇妙な一致点
政治もブログも、ともかく「カネ」さえ自分の懐に入ってくれば、都合のいいように言論を解釈し、それをフォロワーがヨイショする、そんな醜い構造が共通事項として存在します。
つまり政治の世界においても別の世界においても日本と言う社会は自分さえよければ後はどうでも良い、と言うのが本音として透けて見える社会なのではないでしょうか。
「和」だの「おもてなし」だのと、一見聞こえの良い言葉を彼らは言いますがそれは自分たちの振る舞いを覆い隠す免罪符としてのカモフラージュにすぎないのかもしれません。
![]() ![]() ![]() |