自分を守る監視のためのボイスレコーダー 自分自身のための監視社会

By | 2018年6月15日
monitoring-society-myself

自らコントロールできる監視社会として

以前の私の主張は、

町の中に多数設置されている監視カメラについて、これは個人のプライバシーを侵害するもの

との考え方でした。今でもそのように思っている部分も多少はあるのですが、最近、考え方が少し変わってきています。

つまり、

積極的に個人は「自らの周囲を監視すべき」監視社会とて、その中で生きるべきではないのか

との考えに、です。

それは結論から言ってしまえば、

自分の生活している時間帯、特に仕事をしている時間帯においては、常にボイスレコーダーを回しておく事によって、上司からのセクハラやパワハラ、また、最近高度プロフェッショナル制度などと言いつつ、現実的には労働基準法の全く機能しない社会における、自分の健康や生命の健全なる維持のための証拠としてなりうるのではないか

と思うのです。

それは考え方を変えるならば、

市民一人一人が、あまねく自分の生活圏をボイスレコーダーによって監視社会としている

と考える事もできます。それは監視「社会」を自分の側への変換であり、パラダイムシフト的な考え方と言えるかもしれません。

もっとも、そのように「しなければならない」ような労働環境は、極めてお粗末な社会であると言わざるを得ませんが。

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おそまつな社会との対応方法として

最近、高度プロフェッショナル制度が話題に上っていますが、まともに労働基準法が機能しない、また、就職氷河期世代が放置された状況下において、「自由な働き方」とは企業にとっての「自由な働かせ方」の言い換えに過ぎず、現実から乖離した法案にしか見えません。

そのために、「自分を守るための、自分自身の生活圏の監視社会化」が必用ではないでしょうか。

とはいえ、森友問題を見れば一目瞭然ですが、たとえ、証拠が残っていたとしても、それを地位ある者は、のらりくらりと言い逃れをするのでしょう。

しかし、それでも証拠が残っている事は、相手にとって心理的ダメージを与えます。また、ひとつの問題の証拠が出たとなれば、他の問題にも証拠があると考えるのが普通でしょう。

それが強大な権力を持つ為政者にならばともかく、少なくとも通常の企業においては経営者側は多いに萎縮をする事は確かでしょう。

それらの相手の心理的な萎縮を利用し、自分の受けた被害やダメージを回復していく事は、「法的な範囲内での正当な対応」としては大いにあり得るテクニックではないでしょうか。

私はこの記事を書くにあたり、アフィリエイトリンクを貼るつもりはありませんが、一応念のためAmazonでボイスレコーダーを検索してみたのですが、今はボイスレコーダーは非常に安くなっています。

5000円以下で、かなりよさげなボイスレコーダーを多数発見する事ができます。

このボイスレコーダーを年のためのスペアも含め、2台購入しておき、それらを相互に使いながら、自分の生活を自分の監視の下に置くことは、、大いに意味のある行為かも知れません。

それは自分が犯罪や、不当な労働環境法に巻き込まれた時の証拠のみではなく、逆に自分のコンプライアンスを正すためのキッカケともなるでしょう。自分がまともな生活をしていなければ、人様の問題について申し立てる事など、あってはならないのですから。

ボイスレコーダーはあくまでも「予備」でしかない

とはいえ、ボイスレコーダーはあくまでも「証拠の予備」としての存在ですが。

主たる証拠としては、自分が手帳に事細かに書く必要があるでしょう。

それは、どのような労働時間であったか、誰から、どのようなセクハラ、パワハラがあった、それらを逐一メモしておき、それを補完する存在としてのボイスレコーダーと言えるでしょう。

ただ単にボイスレコーダーを回しているだけでは、相手に付け入る隙を与えるだけかも知れません。

ブロガーの言う「転職」の目的

これはボイスレコーダーとやや離れた話題になりますが、もし、万が一自分の入社した会社がブラック企業であり、そこでパワハラやセクハラを受けた場合は辞める事を真剣に検討するべきでしょう。

とはいえ、多くのブログが「ブラックに企業はやめろ」と主張するのは、「転職アフィリエイトリンク」、つまり、人の不幸で金儲けをしようとする者が多数存在する事も知っておくべきでしょう。

そのためブロガー達の書く、ブラック企業についての議論は、一見、正論を書いているように見えながら、言論の着地点とは、常に「転職」で終わる事が極めて多いのではないでしょうか。私はそれは決して問題の終わりであるとは思えません。

とはいえ、ブラック企業に不幸にして入社してしまった場合、そこを直ちに離れる事、それ自体は賛同します。

しかし、そのブラック企業を離れ、一定程度、自分の体と心を休めた後に、ブラック企業の経営者に対しては、彼らに対し、しかるべき法的責任を追及する事こそが、本来は必要なのではないでしょうか。

それは決して自分のプライドを満たすためのみ事ではなく、社会的正義の発露であり、そのような違法行為を行った者等に対し、一般の市民がそれを正す事ができる行動です。

また、もっとも重要なことは、ブラック企業への補償請求は、それを行った者が、「自分の生きる上での大きな自信」になる、と私は考えています。それは、サービス残業代の請求然り、パワハラやセクハラへの民事請求然り、です。

行政や立法の無為無策で、この社会はおかしなことになっています。

そんなおかしな社会で、自分の身を守るためにボイスレコーダーは「自分専用の監視ツール」として考えれば、随分と心強く思うことができるのではないでしょうか。

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