山暮らしに対する憧れ。
このブログではあまり山で暮らしたいという意見を書いて直接的には書いていなかったのですが、似たような記事はこんな感じで書いていると言えば書いています。
現在の技術では山暮らしは十二分分に現実のものとなった
現実的に山で暮らすとなった場合そこに、ロマンがある事は十分に認めます。
また、現在のテクノロジーを用いればほぼ自給自足に近いような生活ができるのではないかとも考えます。
ソーラーパネルによる電気の方自給自足やバイオトイレ、そして、ガスはまきの利用など…
これだけUSBタイプのガジェットが出てきたのですから、電波状況さえあれば山の中でも一定程度文明的な生活ができるのかも知れません。
別に山の中に住むからといって、原始的な生活がしたのではなく、便利なものは便利なように使いたいですね。
憧れは憧れとして現実の問題として
とは言え私も、「いい年齢」になっているので現実的には山暮らしは厳しいのかな、というあきらめのような感覚も出ています。それらのネガティブな要素を今回は書いてみたいと思います。
細々とした問題点
まず1つが両親との関係です。私は兄弟はいるのですが、とても、その兄弟達に両親の面倒が見られるとは思いません。
まだあとおそらく10数年もしくは、20年程度は両親は健在なのかも知れませんが、それでも10年などはあっという間です。その先の事を考えておかないと方法いずれ将来的に困った事になるという事は確実です。
そのためには山で暮らすという選択肢は極めて自己中心的な考えの上に成り立つものである事が多いような気がしてなりません。
私の人生の設計について
私は、このブログでは結婚している、結婚していない、パートナーが存在するらしないについては直接的には書いていないのですが、将来的には結婚という事もあるでしょう。結婚した場合、家族という事も出てくるでしょう。そのような場合自分の思考だけを最優先させた山の中で暮らすという選択は極めて難しいものです
週末だけそこで暮らすという方もありますが、それは山暮らしではなく、別荘です。
街の中に隠れて暮らす別の答え
では、私が山の中で暮らしをしたいと考えた場合、その根本的な欲求とは一体何か、を自分で問うた場合、人と他人に干渉される事のない生活です。
つまり、他人からの最小の干渉または、自分の人生における自分の決定権を最大化する事が山暮らしでの目的なのかも知れません。
私は言うまでもなくコミニケーションが苦手で、可能であれば誰とも関わりをもつ事なくひとりでいる時間が楽しいです。
もちろん、パートナーと一緒にいる時間も、楽しいという事も十二分に理解はしていますが。
そのような根本的な欲求を考えた場合、街の中でも外界との関わりを極限まで減らす事は可能ではないかと考えます。
つまり、中途半端な街の中に住むのではなく、より街の中にひっそりと住む、そして、極力、町内会等には関与しない、それが山暮らしの根本的思想への代替の答えになるのではないかと考えます。
そして、もう一つ重要な点として生活コストを極力抑える事のできる生活または、必要な時が来た際に、その方生活コストを変化するさせる事のできる生活、つまり、スケーラビリティーのある生活とでも言うべきでしょうか、も求めています。
私は一応、今は勤め人という事になっていますが、将来的に、この会社に果たして勤めているのか、と問われると甚だ疑問です。
また、今回のウィルス騒ぎに見るようにどのような会社であっても将来的な安定の保証はありません。
そのためには極力コンパクトな生活を送り、そして、必要な時に必要なだけ稼ぐ事ができるだけの技術力と行動力を備える、それこそが街の中に隠れ住む山暮らしの代替の生活ではないかと考えています。
とは言え…
ここまで書いてきたのですが、それでも山の中に暮らす憧れはずっと心の中にくすぶり続けるのです。
いずれは資金的な余裕ができれば山の中の安い一軒家を買う、もしくは、時間的な余裕ができれば山ごもりをする、それらの、なんちゃって山暮らしの選択肢は決して否定するものではありません。
おまけとして
よくよく考えてみると、私の山暮らしがしたい、との意思は決して自然の中でどうのこうのすると言うものではなく、ともかく自分の時間を極限まで増やしたい自分の決定意思を極限まで増やしたいという、山暮らしで得られることの副次的なメリットを追い求めている事にほかなりません。
自然環境の中での癒やしだの、緑の豊かさだの、それらは正直、どうでもいい話です。
だからこそ、もし山の中に住むのであれば、田舎の中途半端な、過干渉な、よそ者に対して排他的な集落に暮らすのではなく、山の中にぽつんと存在する一軒家に住みたいと考えています。
ただ、それを視点を変えれば、現実的に実行できるのが一定程度大きな街の中でこそ、可能であることも確かなのですが。
とはいえ、山での暮らしを野望として心の中に温めておくと、いつかは別の手段で現実的にできる日が来るのかもしれません。
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