ニートの深夜徘徊は楽しい
今まで私はこのサイトでかなり社会批判をしてきたのですが、今回は全く違う記事です。
以前、ニート生活していた時期の事を書いてみたいと思います。
私は社会人経験を何年が経験しているのですが、その期間にブランクが存在し、当時の前職の企業がブラックであったため、そのブラック企業の退職後、意図的に何ヶ月か就職をしない事を選択した時期がありました。
貯金はかなりあったため、急いで働く必要はないと判断したため、好き勝手な生活を行っていました。
ちなみに、前職はブラック企業でしたが、最後に私はブラック企業と対決し、退職金相当に当たるような金額を得る事ができました。
それは自分が働いたサービス残業代であり、それを受け取る事に対して、何ら法的な問題はないもの、と考えています。
深夜徘徊の楽しさ
ニート期間の楽しみといえば、深夜徘徊でしょう。
深夜、ふらふらと自分の好きなってころに自転車やバイクで行く、また人気(ひとけ)の少ない街の中を歩くことや、自転車での走るのも楽しいです。また、深夜のツーリングも非常に楽しいです。
ニートは行政を使い倒せ
ニート期間はあまりお金を使いたくないので、その間はひたすら図書館の本を使っていました。
また、若者向けのハローワークなども、当時、住んでいた地域で存在したので、そこに毎日通ったりもしていましたが、同じ境遇と人と顔見知りになれることは、なかなか面白い事です。
実際そこで短期間ではありますが、同じ無職同士でパートナーを見つけた、なども、あったような気もしますし、無かったような気もします。(あえてボカします)
ごく短期間の事であったので、ここではそれについて詳しく書こうとは思いませんが、少なくともそのような関係が生じる可能性もあり得る事は事実です。
とはいえ、行政は若年者向けハローワークなどを作る資金的余裕があるのであれば、その人的リソースや金銭的リソースを労働基準監督署の労働基準監督官に振り向けるべきではないのか、と私は本気で思うのですが。
それは行政が行っているサービスは所詮、本質的な問題には何ら手を付けようとしない事の現れでしょう。
本気で「若者を就職させたい」のであれば、ブラック企業を撲滅すべく、労働基準監督官を増やすべきです。
とはいえ、それらの論点と根本のズレた行政の行う行動について、それを分かった上で「あえて」、暇つぶしとして、それらの施設は最大限に活用するべきではないでしょうか。
ニートは一人で居る事を楽しむ時間だ
数ヶ月程度、休養し、その後、のんびりと就職すればいいや、と考えていたのですが、その考えの根底となったのは一定程度の貯金です。
だいたい1年ぐらいは遊んで暮らせる程度の貯金があり、実際のところは数ヶ月程度で再就職してしまったのですが、今これだけ「人手不足」と言われる時代であるからこそ、余計にニート生活は楽しいものとなるかも知れません。
なぜならば、ニート生活をしたとしても再就職が非常にしやすくなっているのですから。また、人材不足のために、バイトなどの場合でも時給が非常に上がっている状況があります。
ちなみに、私はこの記事で無職期間のことを「ニート」と言っていますが、厳密には「ニート」ではありません。すべて自分の資金で自活していたのですから。
一人暮らしで、全て自分の貯金で行っています。また、食事などについても、三食自炊を行っていました。
コンビニの弁当は量が少ない、高い、そして、安全面について疑問がある、と考えてるいます。また、自炊とは生きる上で非常に役に立つテクニックである事は確かです。
自炊ができれば、たとえお金が少なくて、もそこそこ美味しい食事を自分で作る事ができるのですから。
自分で作った食事が美味しくなければ、また次に作る時は美味しくなるように頑張れば良いだけです。
もし自炊の技術がないのであれば、是非とも職を休んでいる期間に、それを身につけるべきでしょう。その技術は一生役に立つものとなるのですから。
ニート同士の結婚に、わりと本気で憧れたりする
私はこのブログで私が男性か女性すら、公開していませんが、現実的な問題として、ニート同士が結婚することさえ、全然楽しいのではないか、と本当に本気で思ってしまいます。
世の中の言う、「あるべき家庭」とは男女共働きで、子供を塾などに通わせることのできる賃金を得ることができる、いわゆる「勝ち組」的なイメージがありますが、それは世間のイメージ操作に過ぎない、と考えてしまいます。
別に好きな者同士が結婚し、お互いが適当に家でゴロゴロし、必要な時に、必要な分だけ働く、そんな生活スタイルも十二分にありえるのではないか、と考えてしまいます。
そもそも、お金がなければ子供を育ている事ができない、その考え方自体が、もはやアナクロニズム的な考え方であると言えるでしょう。
この人口が減っている今の日本社会において、子供を産んでくれるだけでありがたい、そう社会は考えるべきです。
たとえ両親がニートであったとしても子供は社会が責任をもって育てる。
そんな意志表明を社会が行うだけで、随分と出生率は変わるでしょう。
もっとも、この国は既得権益を持った企業や政治家、役人が絶対に自分の利権を手放なさず、社会制度が崩壊するまで現在の社会システムを必死に維持しようとしているからこそ、生活しづらい社会になっているのですが。
それらの社会システムを維持させるために、企業にとって都合のいいシステムを作り上げてきた結果、今のような社会になったのですが。
ニートたちが開き直りとも言える行動をし、これまでの社会が変わって行けば面白い、と私は本気で思っていたりもします。
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