後悔のない選択はない
良い人生とは何か、など、ご大層なテーマを論じる資格は私にはないと考えています。
そんな、人様の人生を左右するような事を私に決める資格などありません。
また、私自身もそのように誇れるような人生を送っているわけではありません。
私は西日本のある地方で技術系の仕事をする、中小企業の勤め人に他のならないのですから。
しかし、もし、一つだけ言えるとするならば、
人生において、いかなる選択をしても、後悔のない選択など存在しない
と考えるのです。
つまり、人間とは、自分の行った選択に対し、常に「こうするべきであった」と思い起こし、現状の否定を行いたがる生き物ではないでしょうか。
また、そのフレーズは、こうも考える事もできます。
隣の芝は常に青い
と。
しかし、自分が後悔している自分の人生も、第三者から見ればそれは羨むに十分な生活かも知れません。
また、自分が良いと思っている第三者の生活も、当の本人にしてみれば、やり直しを行いたいと思っている人生かも知れません。
それは「幸せ」に見える一面的なもの
楽しい老後を送っているかのような家庭は、実は家庭内別居状態であった。
そんな状況が今日本全国にあふれています。
もちろん、そこには離婚する事によって生活が成り立たない年金制度の問題もあるでしょう。
ただ、これは私に言わせれば、あまりにも贅沢な生活に慣れ切ってしまい、その生活を手放したくないが故に、離婚ができない一種の金銭的な呪縛に他ならないと考えてしまいますが。
別に人間、暮らそうと思えば月に10万円もあれば、十二分に楽しい生活は送れるのですから。
また、「一見幸せに見える状態」として、若年層においても最近のツイッターやインスタグラムの「幸せ演出」にも同様の状態が見受けられます。
それらの行為は自分が今存在する人生を必死に肯定感を自らに与えるため行っている行動と考える事も出来ますし、また、ツイッターやインスタグラムのサービス提供者の思惑に乗せられていると考える事もできるでしょう。
私としては後者の方の考え方を支持しますが。
何も考えないための会社として
企業は何も考えないために、従業員の全人格を支配し、時間を支配してきました。
実際、為政者にとって「矛盾だらけの社会を考えられては困る」のですから。
その結果として、サービス残業黙認、パワハラ黙認、不安定雇用の黙認、その挙句の果てが就職氷河期でしょう。
それらの矛盾の上に矛盾を重ねた結果として、現在の衰退する社会にほかなりません。
企業は従業員に様々な仕事を与え、長時間労働をさせる事によって、仕事以外の事を「考えさせない」、もしくは、その長時間労働の見返りとして金銭を与える事によって、金銭に依存をさせ、より企業への依存を行わせる、そのような行動を取ってきたのではないでしょうか。
もちろん、2000年代前半における派遣労働の実質的な全業種への解禁行為は、企業のエゴを丸出しにした企業の無責任と言える行為ですが、その結果として自分のあるべき姿とは何か事を考える世代が一定程度出てきたのも、また事実でしょう。
それについて詳しくはこの記事では書きませんが、いわゆるスモールハウス、シンプルライフ、断捨離、ミニマリズム、ミニマリストといったフレーズは、彼らが「やむを得ず今の社会と対応するため」の生活手段と考える事は可能です。
その結果としての衰退する社会
とは言え、従業員に何も考えさせない行動は、企業の一時的な繁栄を招きましたが結果として社会の衰退をもたらしました。
顧みられる事のない家庭。企業最優先での人生、そこでは当然、次世代の人材の再生産、つまり、子供を作ろうとするモチベーションは下がっていく一方でしょう。
本来ワークライフバランスを、もっと早くから言われるべきでした。
今更、人材不足の社会で、ワークライフバランスなどと「言わざるを得ない」チグハグな状況は、この社会の歪みを極端に表しています。
自分が楽しいと思う事を、社会を利用して行えばいい
所詮、「自分」という存在が、どのように足掻こうと、社会は変わりませんし、この社会は、そう簡単には良い方向にも向かないでしょう。
この社会は矛盾だらけです。だからこそ、個人でもその矛盾を利用するべきではないでしょうか
生活保護を受け取らざるを得ない状況にあるのであれば、両親に弁護士の費用のみを出してもらい生活保護を受け取る事も当然の権利です。
そもそも生活保護において、行政が親類縁者に金銭的支援を要請する行為自体が、行政の責任放棄と言えるおかしな状況です。そのような質問には親族一同が断りを行えばいいのです。
そこにモラルなど関係ない。
モラル? サービス残業を黙認する社会がどの口で言っているのでしょうか。
隗より始めよ。
そんな言葉が虚しく響きます。
何が良い人生なのか?
自分が最期を迎えるときに、
「ああ、楽しかった」
といえる人生が、一番良い人生であると、私は信じます。
たとえ、それが「社会的な常識」や「社会的モラル」と背いた人生であったとしても、です。
実は今の従業員を雇用を維持する事すら困難になりそして、次世代の再生産すらもできない、できなかった社会が、我々にもたらした、根本的な考え方の変化の要求に気づくべき時ではないでしょうか。
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