
わかりやすいブログ=良いブログ、ではない
ブログを書く時、わかりやすいコンテンツ、読みやすいコンテンツを書く事を心がける事はよく理解できますし、表現を回りくどい表現としないようにするなどの考えは一定程度は理解できます。
しかし、ブログを書く場合、そこに誰でも理解できるような簡単な言葉を選び、なるべく専門用語を使わない、それは例えば小学5年生ぐらいでも理解できるような文章を書くことが本当にブログとして適切かどうか、と問われた場合、私はそれに対して非常に疑問を感じます。
低年齢者も読めるコンテンツを作っていれば、それでアクセス数やサイトのマネタイズという意味では非常に良いのかもしれませんが、それが自分の意思に反してまで、そのようなコンテンツを書いていて悲しくないのでしょうか?
ブログを書く意味とは
ブログを書く事は、基本的に公序良俗に反しない限り何を書いても良いと考えます。
むろん、それは「キュレート」と称するパクリではなく、自分の考えをブログに書く事が大前提ですが。
自分の考えを曲げてまで簡単な言葉で書く必要があるのか?言葉は「言の葉」と言われるように、同じ事を述べるにしても様々な言葉があります。
特に日本語において、意図的に簡単な言葉に置き換えるとは、それは自分の意思を曲げているということに他ならないと考えます。
そこまでしてサイトのマネタイズを行い行ないたいですかと私は問いたいのです。
むしろブログは読者を選んでも適切な表現を用いるべきだ
むしろ、読者に媚を売るブログがはびこっている今だからこそ、しかるべき言葉を使い、書き手の知性を前面に出したブログサイトの方が今後、中長期的には良いのではないかと考えます。なぜならば、それはブログ上で、知性による自分のブランディングをしている事に他なりません。
ブロガーがよく勘違いしているセルフブランディングとは、自分の業績を針小棒大に書く事ではなく、自らの刻む文章によって、その人柄を表していくという行為ではないでしょうか。
そのため、私のブログでは簡単な言葉で書こうと思っていませんし、自分の言いたい事のためならば、漢字を入れ、また必要な部分はそれなりに複雑な言語を用いて書きます。
それはこのブログは私が書きたいように書いているからです。
自らのブログを観覧者に迎合するをするとは、それはある意味、
「私は金が欲しいからブログを書き、ウェブを汚染しています!」
とウェブ上に向かって連発連呼しているようなものです。
私のブログは好きなように書きます
私のブログは私の好き勝手に書きます。見たければ見てください。見たくないなら見ないで結構です。それこそがブログの本質だと思っています。
今のブロガーと称する者たちはウェブの本質を歪曲し、そしてひたすらカネ!カネ!と言っているような者たちに過ぎないような気がしてなりません。
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