愛国と原発 原発を推進せざるを得ない理由と、本来の原子力のあり方

By | 2018年9月29日

本来、愛国者ほど原発を廃止させるべきではないのか

本来、愛国者こそ原発を絶対に止めようとせねばならない筈です。

新電力にも原発の処理費用を負担させる方針が決まりましたが、まさにそれは日本の無責任体質の究極の結果ではないでしょうか。

それは言い換えるならば

中央集権をする事による様々な利権を生み出す装置としての原発、また、合法的天下り集団の作成ツールとしての原発

である事が明白になったのではないでしょうか。

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原発利権としての原子力発電所の存在

言うまでもなく、原発は個人や一企業で管理のできる存在ではありません。もちろん、中には国立大学などにおいて実験用原子炉などを保有する大学などが存在しますが、それは国の出先機関としての大学位置付けであり、決して独立した存在として所有しているのではありません。

それらは、国家でなければ保有し得ない原子力について、そこに役人達が自分の天下り機関を作ろうとする事、もしくは、その天下り機関を保持したいがために原子力を推進する、それは現在の為政者や政治家、官僚が原子力を維持せざるを得ない理由の一つとして挙げられるでしょう。

また、別の理由として言われるのは、原子力発電所を持っている電力会社が、原子力発電所の廃止を表明する事によって、原子力発電所が「電力を生み出す資産」ではなく「莫大な解体費を要する巨額負債」となり、電力企業の経営悪化や株式の低下を免れたい、との意向もあるでしょう。

3.11前までの電力会社の株価はインフラ株として非常に安定した株式であり、それが原発の事故によって暴落とも言える状態になりました。

原発の廃止表明によって電力会社の株価の低迷は容易に想像されることです。特に、そのような安定株は、いわゆる資産家達が緩やかな資産運用として好んで持つ銘柄である、と言われています。

どちらにせよ原発は「推進せざるを得ない」理由には現在の利権が多く絡まっているのでしょう。

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原発推進論者たちの矛盾

原発廃止論を主張すると、原発賛成論者は

「風力や太陽光発電では電気の安定供給はできない」

と、自らの原発延命の主張の正当性を論じようとします。

しかし、その議論の根底は「電気を貯蓄する事ができない」というプロパガンダがあります。

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自然エネルギーによる電力の安定供給は可能だ

しかし、それはまやかしに過ぎません。電気は実際には貯蓄する事が可能です。

その方法の代表的な例としては、水力発電です。

水力発電所、つまり、ダムに設けられた発電タービンを逆転させる事よって、河川からダム内への水の貯蓄を行い、位置エネルギーの保存による電力の貯蓄方法があります。

つまり、ダムを水の位置エネルギーを保存するための器として捉える考え方です。実際に、これはもう何十年も前から行われている事です。

しかし、それはなぜかあまり広く知られていません。なぜならば、電気を貯める事ができる事が広まると、都合の悪い人が、かなり存在する事なのでしょう。

また、原発賛成論者は、こう言うのかも知れません。

ダムは自然環境を破壊する」と。

いやいや、ちょっと待ってください。自然環境を破壊するのであれば、3.11における放射能のばらまきこそ、究極の自然環境の破壊ではないのでしょうか。

確かに大型のダムを作る事によって自然の環境は変化します。そして、誤った対応をすれば、現在増えている異常気象などによるゲリラ的な大雨によっては下流域の住宅に対する被害が出る可能性は否定できません。

しかし、一方の原子力発電のリスクはどうでしょうか?

3.11に見る放射能の無差別のばらまき行為、発がん性リスクを増大させるような行為、発電所で使われた放射性廃棄物を延々と保存する必要、それは10万年とも言われます。

それらとの危険性の合理性を判断すれば、人間の英知で解決する問題の範囲内に、水力による電気の貯蓄はもはや達していると考えうるのではないでしょうか。

私は何も原子力そのものを否定しているつもりはない

ちなみに余談になりますが、私は原子力の研究そのものが悪い、と主張するつもりはありません。

確かに原子力は非常に大きなエネルギーを発生させます。しかし、それを、わざわざ電力発電に無理矢理使おうとした事こそが、現在の悲劇の根底ではないでしょうか。

もちろん、原子力は様々な悪意を持った方法に用いる事ができます。しかし、それらの悪意として用いられている手法は、同じように様々な国が保有をしている、「ある種の兵器」であると考え事も出来ます。

私はそれらの「ある種の兵器」について日本が持つ事に対し、悪い、とも、良い、ともここでは表明をしません。

それを決めるのは国民の判断です。

私はこのブログの中で、いわゆる左派的、もしくは、リベラル的な主張をしていますが、だからといって、それらの平和的な物事の解決の裏側には、当然、「然るべき威力」もしくは、「強制力」の存在があるからこそ平和的な話し合いが成り立つ、と考えています。

無論、それが核武装と直結することではありませんが。

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