人気ブロガーが行う課金コンテンツの問題、もしくは教祖と信者となるブログ

By | 2016年12月30日
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人的依存症を生み出す web

自称、人気ブロガーは「自分がいかにすごい人物か」ということを散々喧伝するようなことを web 上に垂れ流していますね。

彼らが何をしたいかというと、自分の信者を作りたいのではないでしょうか。

今までの宗教というものは、パンフレットや印刷物を作って、それを信者が各家庭に戸別訪問して、みたいな手段が使われてきましたが、ウェブという世界では、例えばTwitterや sns といったものを用いて、自分がいかにすごい人的な人脈があって、そこで影響力があるか、そういったものを宣伝することによって、自分を大きく見せて、そこで「セミナー」や「サロン」などの訳の分からない課金コンテンツに入金させようとしている、それが現在の web の姿ではないでしょうか。

自分の姿を良く見せるために嘘をつく、そしてその嘘がさらに大きな嘘をつく、その繰り返しが現在のインターネットの世界の「影響のある者」の手段ではないでしょうか。

ウェブのマイナス面の集合としての課金コンテンツ、セミナー

SEOというという手段を用いればインターネットでは、自分の実力以上の存在感を持ってインターネット上では姿を現すことができます。

例えば実際に人脈を作るよりも、seo 対策に資金を投じて、自分がさもすごい者であるかのように見せる、という事の方が金銭的に効率がいい作業でしょうし。

しかしそういった「大物に見える」という人物に依存してしまう人間というもの、まこれもまた人間として問題のあるのでしょう。

ちなみに、私は上記で「宗教」と書いていますが、そこで信じられているのは「神」ではなく、「金」なのですが、それは新しい宗教的な何か、と言っても違和感は少ないかもしれません。

結局そうした「宗教」にハマる人というのは、人には、自分というものがないのではないかもしれません。

成人しているにもかかわらず、自分という価値観がいまだにわからず、そしてその答えを第三者が教えてくれると思っている、そんな状況だからこそ、「サロン」や「セミナー」などという、胡散臭い、わけのわからないものに没頭してしまうのでしょう。

「セミナー」や「サロン」という愚劣な制度を生み出してしまっている現在のウェブは、例えばマルチ商法、新興宗教、それらの新しい亜種となってしまった、と言っても良いかも知れません。

情報があふれる時代だからこそ、自分で考えねばならない

まあ、結局、何を信じる、信じないというのはそれはその人のことで、思想信条の自由ではあるのですが、少なくとも、何人であっても自分の頭があるのですから、自分の頭で考えて行動しましょうよ、と。

自分で考えた行動が間違っていたのであれば、間違っていた部分を直し、それを更にトライアンドエラーを繰り返すしか人生には方法がない、としか思いませんけどね。

結局誰かに頼って生きているとしても、それは「頼った人」が間違った行動をすれば、どんどん間違った方向に行ってしまうのですから。

もっと簡単にいえば、自分で判断できる能力がなければ、どんその人にお金を吸い上げられているだけです。

インターネットは誰もが使えるようになりましたし、とくにスマートフォンの普及でその傾向がユビキタスとして定着しましたが、その現象が生じた結果、人間がもともと潜在的に持っていた「誰かに頼りたい」という思想依存新を利用した一種のの新たなビジネスだと私は思います。

ただ、問題なのは、金銭的な部分のみではなく、精神的な部分にまで「教祖ありき」となってしまうのが最大の問題でしょうが。

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