戦後の奇跡の終わりと現在の社会への流れ なにも変化できない社会を認識する

By | 2017年3月14日
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労働力人口の減少による奇跡の終焉。

第階の世代がこれまで日本の経済成長を支えてきましたが、その栄光に次の手を打つのを忘れ、その結果として少子高齢化、労働力人口の減少を招いている事に他なりません。

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奇跡が当たり前の時代だった頃。

すなわち日本の繁栄とは、これは段階の世代の人口増、労働力の安価でかつ、従順な人々によって作られてきた「たまたま」の状態の結果であり、それを継続させるための努力を怠った日本は、これから壮大なるツケを支払うべき時代になっているのです。

日本の戦後の高度経済成長期は日本人が勤勉であるから、それのような時代を作る事ができたと言われますが、モノは言いようです。それは結果の後付としての意味付けに過ぎません。

日本は戦時中において世界にも類を見ない自殺攻撃、すなわち特攻攻撃を行いました。そのような滅私奉公の精神が国ではなく企業に向かった、それが戦後の奇跡の経済成長を生み出したのではないでしょうか。

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奇跡に慣れすぎ、やがて現実に戻った

確かにそれはある意味では奇跡であったと思います。

戦後、焼け野原であった日本が経済的に復興を遂げ、そして先進国の仲間入りをする事ができたのは事実です。その一つの到達点がバブルでしたが、バブルはあっけなく崩壊し、 それは奇跡の終わりの始まりでした。

バブル崩壊によって失われた20年などと言われますが、本来であればその時にきちんと次の世代を生産する事ができる働き方、生き方、労働時間の総量規制などの、「個人と企業のあり方」を考え直すべきであったにもかかわらず、この社会が行なった行動はすべて逆の事をしたのです。それは派遣労働然り、製造業の派遣しかり。

産業が復活すれば景気も復活する、というあまりにも短絡的な幻想のもとに、全ての社会の根本である人口を維持することのできる社会を放棄し、人口を減らしてしまったのが今の日本です。

一時の企業の繁栄を求めるがために、持続可能な社会を放棄し、そして今、人口減少と高齢化という世界のいかなる国でも経験したこと無い大問題に直面しているのです。

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日本の向かう将来

では、今後日本はどうなるのか。一つの例として、私は次のオリンピックを非常に面白いテーマとして捉えています。

2020年の東京オリンピックに向けてハコモノ建築が多数作られようとしています。これは1964年の東京オリンピックと何一つ変わっていません。何がレガシーなのでしょか。そんな国際運動会など、既存の体育館で開けば良いことです。

しかも、最悪の社会状況の中で。 まり、政治の手法は1964年から何も変わっていない、という現実を今すべての国民に突きつけられている事にほかなりません。

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