
名前を出すことを恐れなければなんでもできる、一例
いきなり少し皮肉な書き方をしてしまうのですが、著者の松本哉氏、選挙に出ていることを本書で書いているのですが、自分の名前を大々的に公開してしまうことを恐れなければ、いかようにでも主張の広め方が存在することも事実ではあったりします。
私はこのブログは、あくまでも匿名で、「どこのだれか」を絶対に明かさないことを大前提で書いているので、もともと考え方の違う人なのかな、とは思ってしまう部分もあります。
とはいえ、いわゆるブロガー達のような、金銭目的の売名行為とは考え方は全く異なる人物ですが。
正しい社会に対する反感の持ち方
行政に対する不満の持ち方は非常に共感できる部分があります。役所が一般の市民の生活について介入してくるな、そんな当たり前の感覚を、じつに痛快に松本氏はこの本で述べています。
私はその行政における無駄遣いをやめろ、と度々書きますが、それ以前の話とも言えます。
行政が、何ら生産的な行為を行っていないにも関わらず、市民に対して生活に介入しようとする、それは理論と言う前に、もはや生理的な嫌悪を持つべきが自然な感情であるのです。
左翼ではない、新しい運動方法として
著者、松本哉氏は左側の人と認識されていることも多いのですが必ずしも左側という考えでもないようです。
あえて言うならば、学生運動などにおけるノンセクトの人物なのでしょう。
現在の社会運動における一般の人々の共感の弱さとは、運動を左翼の理論の枠に当てはめたことによって、一般の市民から愛想を尽かされてしまったことも原因の一つとしてあるでしょうから、著者の「左側の方法ではない」訴え方は、非常に面白いものです。
本書に書かれた、松本氏の新しい行動様式、それを彼は自分は「自分が楽しい行動をしている」と自嘲しますが、そんな行動こそが、人々の心に届くメッセージであるという新しい手法の開発に成功したものと言えるでしょう。
自分から、その「枠組」を離れることについて
松本哉氏は、本著において、大学を出た後も、「勤め人にはなりたくない」と書いているのですが、一瞬、ブロガーですねと思ってしまったのですが、ブロガーと全く異なる点として、その行動力とコミュニケーション能力があります。いわゆる、pha氏のような、人間関係は継続しつつ、賞賛もせず、一定の距離をあける、ドライな人間関係を好む人物に見えます。
松本氏は今の社会システムに組み込まれたないためには、自分からそこに参加しない、そして、自分で新しいコミュニティを作る事を提案をしています。これについて、私は非常に賛同できるものです。企業に飲み込まれなためには、自分で自営業的な何かをする必要がある、その事業的な部分についても、彼はこの本でその大変さも含め、書ています。
無論、決してウェブで稼げるわけではありませんし、おっちょこちょいを引っ掛ける為の罠はウェブに満ち溢れていますが。
つまりは、自分が汗水たらして大変な目にあって、そして自立をしているからこそ、発言において、その重み、そして面白さが伝わるのです。
この本だけで回答が得られるわけではないが、非常に大きな考え方のヒントにはなる一冊
松本哉氏は、ある意味では「人を引きつける」才能があるということなのでしょう。
つまり、これまでの社会の枠組みを捉え、そこからはみ出すことを厭わず、そして自分の存在を自己顕示欲ではない、プロテストのために用いることも辞さない、という考え方です。
その考え方は、決して全ての人が適用しうる考え方と私は思いません。しかし、今の社会に対して不満がある場合、これまでの左翼的ではない概念と表現手法があることを、この一冊は教えてくれます。
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