経済的敗戦に備えよ。歴史は繰り返す。今後起こりうる経済的混乱を推測する方法。

By | 2019年8月14日
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もはや未来の見えない日本の経済的状況

最近思うのですが、日本経済は壊滅的、かつ不可逆な状態に陥っています。

公務員や大企業の正社員だけが安定した生活を謳歌し、若者はブラック企業、派遣労働、明日をも見えない、そして、本来であれば社会を維持継続してゆくための子育てすら、できないような環境に突き落とされています。いったい、誰がこの社会に未来があるなどと考えるでしょうか。

確かに現在はかつての就職氷河期の者たちが陥れられた時代に比べれば求人倍率自体は改善している事は確かでしょう。

しかし求人倍率の改善とは、それは労働力不足と同じことであり、本来、就職氷河期が子供を産み育て、労働者による労働者の再生産が行われなければならなかったはずが、それが行われていないが故に、いびつな人口ピラミッドとなり、その結果として労働力人口が不足していることに他なりません。

それを、数十年掛けてグダグダと茹でガエルのように今のような経済状態になったので、誰も気づかない、もしくは気づきたくないのでしょう。おそらく正しくは「気づきたくない」というのが正確でしょうが。

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先の大戦との今の日本経済の奇妙な一致

それは先の大戦における大本営発表の「勝った!」「勝った!」の連呼と重なるものがあります。毎日首都をアメリカのB-29が爆撃の地獄絵図を撒き散らしているにもかかわらず、勇ましい大本営発表。それは、まるで今の日本の経済的状況を見ているかのようです。

最近では、2020年の夏に行われるオリンピックに向けたオリンピックムードを盛り上げようとするマスコミの意向を読み取ることができますが、それはまるでパンとサーカスにおけるサーカスの役目を2020年のオリンピックに行わせようとさせているのではないか、とさえ見えてしまいます。

オリンピックなどにうつつを抜かす暇があるのであれば、まだ子供を産める可能性がある就職氷河期世代にリソースを振り向け、いびつな人口ピラミッドを回復させるのきが本来の社会の役目ではないでしょうか。

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経済破綻後の日本を知る方法

近い将来、日本は「経済的敗戦」を迎えるでしょう。それはデフォルト、もしくは年金政策の破綻、それに類する何らかの「誰の目に見ても明らかな失敗」が生ずると私は考えています。むしろ、それが生じないほうが不思議なのですが。経済成長に対して、なんらプラスのある材料など無く、また、ソフトランディングを行うことなど欠片も考えていないのが為政者たちなのでしょう。

とはいえ、年金政策の近似的破綻、つまり年金の受給年齢の繰り上げ、または老後に2千万円が必要などと中央官庁が発表することによる事例などを見るように、一般の人々が直接的な危険性を抱かないレベルにおいて、徐々にその本質的な破綻を見せつけようとしている状態かもしれませんが。

今の日本の状況を理解するために、敗戦直前直後の日本軍、および内閣の情報を知ることが重要ではないかと考えます。それは、日本の未来予想図となるでしょう。

事実、今の首相の安倍はA級戦犯の孫ですし、現状の社会状況を直視しようとしない姿は先の大戦と深く重なります。

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先の大戦の敗戦時に一体何が起こったのか

具体的には、敗戦後、新円切替と預金引き出しの制限が行われ、経済的に大混乱が生じました。しかし、なぜかその事実を国民はあまり知らされていません。

広島と長崎への原爆投下と敗戦の日は毎年報道される、にも関わらずです。それはまるで報道が為政者に配慮をしているのか?と疑わざるを得ません。

つまり、過去の日本に実際に生じた、とんでもない経済政策がある、ということをまずすべての国民が知っておくべきですし、それが今後、再度行われる可能性も高いです。

と、ここまで書きましたが、今の社会においてMMTなどの議論がれいわ新選組をはじめとする心ある政党によって論じられていることも事実です。

果たして国債というものが本当に返済を必要とされる負債であるのか? 新しい議論が国民の合意によって確立すれば、経済的敗戦とも呼べる事態は回避されるのかもしれません。

しかし、それにしたところで、一体、では今の社会をここまで衰退させたのは誰か、という責任問題の追求なくして、それらのMMTが論じられる事があっては絶対にならないと私は考えます。

ちなみに、そのような敗戦不景気を救ったのは朝鮮戦争による特需景気でした。他国の戦争の不幸によって、経済回復をした日本、という事実も知っておくべきでしょう。

これから日本が陥る状態を知る、そして対策をする、それが国民に残された、かすかな光明ではないでしょうか。

ちなみに、先の大戦では日本の敗戦が決まった際に、中国大陸に存在した軍の指導部の者たちは、指導者と自分たちの家族だけ、真っ先に、一般の人々を残したまま日本に逃げ帰りました。

その結果として残された兵の少なからぬ者たちがソ連兵によって捕えられシベリアの強制収容所に送られ、何万人もの方々が生きて日本に帰ることができませんでした。

また、女性は「女性として」地獄のような苦しみを味わいました。

それは戦争の悲劇という前に、日本がまともな撤退戦略を持っていなかったという歴史の失敗として我々は認識せねばなりません。

もし日本が常識的な撤退戦略を持っていたのであれば、日本には原爆落とされることもなかったかもしれませんし、また戦争で生命を失うことを強制された者たちは、何万人の単位で減ったことでしょう。

そして言うまでもなく日本の戦後の復興は、よりスピードを増し今とは違った日本が存在したかもしれません。

しかし今21世紀の日本で起きていることとは、先の対戦で起こったソフトランディングや戦略的撤退が行えない日本の姿を繰り返そうとしているように思えてなりません。

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