
贈り物自体は否定しないが
私は企業に勤めていますので、取引先のお中元やお歳暮の選定なども、時々行っているのですが、それらは言うまでもなく、贈った取引先の従業員の方が全員で消費してもらえるような無難な食べ物などを贈っています。
そのため、別に私はそのような贈り物自体については否定をするつもりはありませんが、モノとしての贈り物、すなわち形があり、今後残るもの、アクセサリーなどについては、行うべきではないと考えます。
人はそれぞれ生活様式や美的感覚を有します。そこに自分が良いと思うモノ、アクセサリーなどを贈る事、それは自分の美意識を他人に押し付けている事に他なりません。
ましてや、それがパートナーが身につけるモノであった場合、それを相手がつけているかどうかをチェックする行為に至っては、それはまさしくパートナーへの所有欲の発露にすぎないとしか見えません。
パートナーにモノを贈ることの深層心理
自分の送ったアクセサリーを使う事を相手に強要する、それは送り主の相手への所有欲もしくは、拘束力の発露に過ぎません。
そのため、私は正直パートナーから送られたアクセサリーであっても、極力身につけようとは思いません。それらの行動を冷たいと思われるかも知れませんが、お互いにプライベートがあり、個人と個人の集合体としてのカップルであると私は思っているためです。
相手に自分の贈った物を身に着けさせることによる自分の存在意義の確認、それは、自分の存在意義の不安を相手に押し付けている行動に思えてなりません。
そのような関係は、いずれ破綻するでしょう。そのため、私はパートナーへであっても、モノを送る事は極力行いません。相手が予め、「○○のモノがほしい」と主張するのであればそれを贈る事は全然アリだと思いますが。
それは確実に相手が使うモノ、それは相手が喜ぶモノのであればいいと思いますが、相手が、望むかどうかわからないモノを送ったところで、それは多くの場合、相手に困惑とありがた迷惑を与えているにすぎないのではないでしょうか。
そのためプレゼントは、金券もしくは食べるもの、そのどちらかに限定するべきではないでしょうか。
今私はどちらかといえば男女間の関係についてはかなりドライな考え方をしているのですが、そのようなプレゼント類についての発言は角が立たないように、最初からモノの形の残らないモノを贈る、もしくは、要求するようにしています。
カップルはお互いが個人と個人の関係性ですが、それに対して、「ペアルック」「おそろいのアクセサリー」などでお互いの同一化を図ろうとする行為も、自分の存在について自信がない事を自分自身が公表しているように思えてなりません。
潔い完成形と贈り物について
どのような人間関係であったとしても、長期的に見れば、必ず解消する方向に向かいます。
それはたとえ親族関係であったとしても、恋人同士の関係であったとしても同様です。
そんな事を考えている私は、あまりにも冷たすぎるのかも知れませんが、ただ、そんな人物から見た潔い贈り物についての考え方の一例です。少なくともありがた迷惑を振りまくよりは、ドライな関係と言われても潔い関係のほうが、継続しやすい関係となるのではないでしょうか。
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